ニッケイ新聞 2009年8月5日付け
実は、ニッケイ新聞の七面に第九回私の物語 日本自分史大賞を受賞したという片道切符「奥アマゾン」の第一回目が登場した去る七月二十五日の本紙を手にした時、ある種の驚きを覚えた。
先ず、これまで当地の邦字新聞でかってなかった前代未聞だとさえ考えられるが、作品の掲載場所が新聞の毎日の顔とも言うべき社会面だったことだ。私は、そのことに、新聞社側のこの作品に掛ける並々ならぬ期待と自信の程を同時に感じ取った。
言わずもがなの事だが、掲載場所が社会面だということになれば、連載の途中によく起こりがちな「本日は都合で休載します」という、読者にとって実に腹立たしい予期せぬ出来事をより避けて通ってくれそうだからである。「休載なんかしません」と、先に足枷を嵌めてしまっているようにも見える。
これまで読ませて貰った初回から今までの作品の内容も、正直なところ、一読者である私の期待を遥かに上回る程の出来映えだった。
ブラジル移民の手になる創作、なかんずく、より優れた生活と自分史の類(たぐい)は、極論すれば、ちょうど今年、八十年の重要な節目を迎えるアマゾン地域への移民の手で生み出されているケースが一段と多いような気がしてならない。
アマゾン移民の大変なご苦労がこういう実録風の傑作を数多く産み落とさせるのかも知れない。今からちょうど十年前の一九九九年に、やはり本紙に連載されて大好評を博した故小野正さんの「アマゾン移民 少年の追憶」も、多くの読者の共感を誘った。
川田敏之さんの作品は、連載がまだほんの始まったばかりだが、情景や人物を描写する的確な文体を無類の記憶力と細やかな観察眼とでしっかり支えている。文章の行間からその誠実な人柄もたっぷりと伝わってきている。
私は、創作品に於いては、すべからくユーモアの精神が欠かせない大事な生命線の一つではないかと思う。
アマゾン移民が筆舌に尽くし難い程の辛酸を舐めさせられたこと、そういった事実が今までに報道機関を中心に数多く伝えられてきているだけに、川田さんの片道切符「奥アマゾン」という今回の作品の中にいち早く漂うユーモアの精神をとても好ましく思っている。
巧まざるユーモアを絶えず湛えているだけに、移民の苦労も悲惨さも更に印象深くなる。
べレンから入植先のアクレに向かう六百トンばかりの蒸気船クヤバ号の退屈な船上生活で、現地の綺麗なモッサたちとの交流を重ね、彼女たちの上から下までを鳩胸だの出尻だの蜂腰だのと大変具体的に描いている。
又、このモッサらを眺めていては、ブラジルの開拓は、女の開拓からだ、と当時二九歳の川田青年が欣喜雀躍しながら張り切り、大和魂に鉢巻をしめて頑張るぞと、意気込んだという箇所に至っては思わず噴出してしまった。
最近のニッケイ新聞社には、紙面の作り方にヤル気が横溢している。移民百周年後の邦字新聞の新しい方向性さえ垣間見えるような想いがしてならない。