ニッケイ新聞 2009年8月8日付け
コロニア最古の鳥居――!? 本紙の取材でノロエステ線プロミッソンに、一九二〇年建築と見られる鳥居があったことが明らかになった。写真も掲載されている『プロミッソン開拓十周年記念誌』(安永家所有)によれば、お宮もあったようだ。プロミッソン出身で現在も同地に住む安永忠邦さん(88、二世)は「家のすぐ近くにあった。子供の頃に見たことがある」と話している。
本紙が行なうブラジルにおける鳥居の実態調査では、一九五〇年頃にサント・アンドレーの日本荘に建築されたもの(後に日本カントリークラブに移築)が最古だった。
一九一八年に上塚周平により、建設された上塚植民地。その十年後、農業のブラジル社により、『プロミッソン開拓10周年記念誌』が発行されている。
そのなかにこの鳥居について、「イタコロミー(上塚)植民地のブーグレ神社」(本文・写真説明はボーグレとなっている)と見出しをつけ、二頁が割かれている。
註・ブーグレ(BUGRE)はインジオの部族名。イグアスー、ピケリー川に挟まれた地域、ウルグアイの一部に住んでいた。野蛮なインジオの意もある。
其當時二三アルケールばかり開かれてカッポエイラになっていたので、これを幸ひ、本営をそこにおいた。ところが川の東に當って、二つの大きな塚が見える、黒坊共に聞いて見ると、ボーグレ族の墓だといふ、先祖を尊ぶ心の厚い日本人のことだから、ここまま草山にして置くことも気の毒とあって、其辺で発見されたボーグレ族の使用した水瓶と土製のラッパ二つを神霊として、毎年五月に御祭りをすることにしたー(本文より抜粋)
記述によると、「神前相撲」も開かれ、この鳥居とお宮があったのは「今から八年前」となっている。同誌が発行された二八年から逆算すると、二〇年の建設であると推定される。
その後、御神体の水瓶ラッパもなくなったが、「プロミッソンの名所の一つとして観察者の見物が絶えない」と書かれており、観光名所にもなっていたようだ。
昨年六月、プロミッソン近いリンス市で百周年事業として、考古学者酒井喜重(アチバイアで八四年に七十三歳で死去)をオメナ―ジェンした「酒井喜重コレクション展」が開かれている。
酒井氏の著作「ブラジル・サンパウロ州考古誌」でも同神社が取り上げられており、「上塚周平死去後(註・三五年)はまったく顧みるものもなくなり、荒廃に帰してしまった」と書かれている。その跡で御神体となっていたラッパの破片を数個採集したという。
現在の鳥居が日本、日系社会を象徴するのに対し、インジオの墓を弔うものだったブーグレ神社。地鎮を願う初期移民の思いが伝わってくるようだ。