ニッケイ新聞 2009年8月13日付け
ブラジルで最初に運動会が開かれたとされる〃陸上競技発祥の地〃サンパウロ州プロミッソンで、戦前戦後の二度にわたり来伯した五輪金メダリスト南部忠平(一九〇四~九七)の直筆と見られる優勝旗がこのほど発見された。白地の布に「優勝」「南部忠平」と墨痕鮮やかに書かれた〃お宝〃は、安永家の倉庫に眠っていた。プロミッソンの生き字引、安永忠邦さん(88)も「何故あるのか分からない」と首を捻っている。
南部忠平は北海道札幌市生まれ。早稲田大学在学中に出場したオランダ・アムステルダム五輪(二八年)に出場、三段跳びで四位に入賞。
神宮競技場(東京)で三一年、走り幅跳びで七メートル九八の世界記録を出し、三二年ロサンゼルス五輪では、同種目で金メダルを獲得している。
ブラジル日本移民・日系社会史年表(サンパウロ人文科学研究所編)によれば、一九三九年七月二十九日、ぶえのすあいれす丸で来伯している。ブラジル陸上競技振興のため、コーチとして招かれたようだ。
戦後の五一年には、監督として陸上の五輪選手と再度来伯。サンパウロ州陸上競技聯盟主催でブラジル選抜チームと大会を開いている。
〇六年九月十四日付けの本紙記事で、戦後のコロニア陸上界で活躍し、戦前バストスに住んでいた中島一さん(取材当時76歳)が「南部さんから『正式な指導を受ければ(走り高飛びで)二メートルは跳べる』と言われた」と思い出を語っていることから、陸上競技の盛んだった日系集団地を巡回したようだ。
戦前戦後、プロミッソンは約千二百家族が住む一大コロニア。現在も行なわれる運動会はコロニア最古と言われ、〃陸上競技発祥の地〃ともいわれるほど。
「昔の運動会では、上塚周平先生が書かれたものを持ち回りで優勝旗として使っていました」と話す忠邦さん。
汚れも少ないことから、記念品として書かれたもののようだが、「南部さんが来た記憶はない」という。
今年六月に倉庫を整理していて優勝旗を発見した長男の和教さん(63)は、「ずっとしまっていた。気付かずにパーノ(雑巾)として使うところだった」と笑いながら、丁寧に畳み、また倉庫に仕舞いこんだ。