ニッケイ新聞 2009年8月14日付け
創立五十周年記念事業「社会福祉センター」をリベルダーデ区に建設中のサンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)。援協の〃生き字引〃山下忠男専任理事(前事務局長)、菊地義治副会長、元コチア青年の井上茂則理事三人が、寄付呼びかけのために七月三十日から二泊三日で地方を巡回した。記者も初日同行、その様子をレポートする。
「待つだけではなく、理事が地方へ出向いてはどうか」―。以前から役員内でこんな声が聞こえていた。七月末には浄財が百万レアル超えと、同センターに届く協力は大きい。
「地方に理解を求めて、もう協力してくれた人にお礼に行かんとね。コロニアっていうのは田舎を回らないと。サンパウロだけでやってちゃ意味がない」―タツイ日本人会長を務める井上理事の提案に、「やるか」と乗った二人。山下専任理事の事務局長時代、「会員をやめる」と言い出した地方日系団体を説得しに菊地副会長と出向いたこともある。久々の地方訪問になった。
初日はカンピーナスで豆や米を出荷する「Broto Legal」社を経営する藤沢ノリオさん、スマレ市の日系養鶏場、サンパウロ州フランカ市でカフェ農園とガソリン・スタンドを経営する南原洋一郎、光洋さん兄弟を訪ねた。
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日が沈む前に到着した南原さん宅。戦前はカフェが有名で日本人入植者が多かったというが、現在、兄洋一郎さん(57、二世)が会長を務めるフランカ日伯協会は会員三十家族と小規模だ。
集まったのは、南原さん兄弟と母千代喜さん(岩手、86)、三十二年間同地でカフェ一筋の中村伯毅さん(74、二世)だけだった。
菊地副会長の寄付協力の呼びかけに、「昨年は援協の巡回診療も断ったほど」と中村さんは言葉を濁した。実質的に、援協との繋がりは巡回診療だけ。「来てもらっても皆コンベニオに入ってる」
さらに「去年の不況で受けた打撃が大きくて」と寄付は難しい意向を続けた。
「これは日本人の付き合い、コンベニオとかの問題じゃない」と井上理事。衰退する地方団体の行く末を案ずる日本人会長としても、「イベントと考えて。そうやって日系社会の横の繋がりを持ち続けないといかん」と訴える。
洋一郎さんは、「会員は四十キロ以上離れたところにバラバラ。巡回診療で呼びかけても集まりにくいんですね」と中村さんに同調しつつ、「やっぱり年寄りは日本人の医者の方が安心する。検査だけじゃなくて健康講演会とか、目的を変えたらいいと思う」。
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記者は初日に帰聖したものの、「凄かったよ、みんな歓迎してくれてね」と、興奮気味の菊地副会長の顔がその後の旅を物語る。
二日目はミナス州カルモ・ド・パラナイーバ市でコーヒー農園を経営する下坂匡さん、サンゴタルド市の井上理事の農場に宿泊。三日目は山下専任理事の義父、山下雪夫さんを訪問した。
下坂農園では、地元の婦人ら合わせて十一人が集合して歓迎会が開かれる賑わいぶり。仲間に声を掛けて後日、送金するという約束を取り付けた。
最終的に集まった寄付は南原家から四千レ、九十一歳の老齢にも関わらず山下雪夫さんから三千レ、後日「Broto Legal」の藤沢さんから一万レが届いた。
サンゴタルドでは、三十三人のサインが書かれた立派な奉納帳を託された。それぞれ一~三千レ、計五万レだ。
「援協はすごく力がある。地方の人はそう思ってくれている」と山下専任理事と菊地副会長は頷く。日系社会の中心団体としての自覚を新たにしたようだ。「もっと地方を歩いて意見を聞いていかないといけない」と顔を引き締める。
「寄付は難しいねぇ」。普段、弱音を吐きそうにない井上理事はこう漏らしつつ、「協力は予想以上、年取った人が訪問を喜んでくれた」と振り返った。
後日、井上理事が呼びかけたタツイ市では日本人会、バタタ生産組合、有志九人から計一万一千レが届けられた。
なお、「創立五十周年記念式典・社会福祉センター落成式」は十五日午前十時から同センター(ファグンデス街121番)で開催される。