ニッケイ新聞 2009年8月14日付け
仕事柄、各地を訪れるさい、常に日系との関わりを探してきた。このたび「観光振興」の取材でエスピリト・サント州に。今回は日系と関わることはないだろうーと思いつつ、潮風の吹く州都ヴィトリアの空港に降り立った▼早朝の便だったため、海岸沿いのホテルで朝食。マネージャーと名刺交換すると、何と「中村さん」。外見は非日系だが、メスチッソで日本にも長く滞在。日本語が懐かしいと見えて、しばし〃リハビリ〃にお付き合い。最後は、「これプレゼント。日本語でスリッパ…でしたよね」とホテル名がついた部屋用のものを貰った▼セーラ・カピシャーバといわれる高原地帯は、イタリア・ドイツ移民が多く、ブラジルきっての農村観光地帯。あるファゼンダのイタリア三世夫婦との会話の中で「私たちは日本人の世話になったのよ」▼五〇年代、イトウと名乗る日本人が訪れてきた。「無口だったけど、肥料に詳しくてね。色々教えてもらって助かった。十年ほど付き合いがあったけど…。もう亡くなっただろうね」と顔を見合わせ、「何という組合に入っていたんだっけ」と記憶を辿る二人。「…コチア?」というコラム子に「そうそう!」と嬉しそうに声を合わせた▼随行した観光局女性担当官、「昔、私のアパートは日本人が多くてね。綺麗な折り紙?をくれたり、親切だったわ」。八三年、伊、伯、そして川崎製鉄がツバロン製鉄(現在は印資本)に共同出資。ヴィトリアには日本人駐在員が多かった。さきのホテルマネージャーも「一緒に野球をしていました」。日本の残り香を自然と嗅いでしまうのはどうも職業病らしい。 (剛)