エウクリーデス没後100年=共和制誕生期を生きた作家=カヌードスの乱など描く
ニッケイ新聞 2009年8月18日付け
一八九〇年代に北東伯で起きたカヌードスの乱を描いた「奥地(オス・セルトインス)」の著者エウクリーデス・ダ・クーニャが、十五日に没後一〇〇周年を迎えた。
カヌードスの乱のことを報じた記事がエスタード紙に掲載され、ジャーナリストとして知られ始めたエウクリーデスについては、二〇〇八年十二月二〇日以降、エスタード紙中心に様々な記事が出ているが、一八九七年設立の文学アカデミーの二代目会長を務めた作家としても有名。
没後一〇〇周年となる十五日から十六日にかけてもエスタード紙に公開討論会の報告記事などが報じられ、今も、生い立ちや作品の持つ意味などが語られている作家の一人であるエウクリーデスは、ポルトガル人を祖父とし、バイア州女性を祖母とする家柄の出身だ。
父親がリオ州に転居、結婚したため、一八六六年一月二十日に同州カンタガロで生まれたエウクリーデスは、三歳で母を亡くし、母方の親戚の家に預けられたが、就学後間もなく、バイアの祖父母の家に送られた。
そこで、バイアの言葉や文化に親しんだ後、再びリオに転居。高校在学中、校内新聞に記事を掲載したりもしている。
その後、入軍したエウクリーデスは、軍の学校で設計工学も学んだ。
ところが、一八八八年に、軍視察中の大臣の前で、サーベルを床に投げ出すといった抗議行動を起こし、逮捕された上、軍から追放されるという事件を起こした。
この行為が共和制宣言後は英雄的行為と見なされ、再び軍に復帰することとなるのだが、軍復帰後のエウクリーデスが、一八九三年から九四年のカヌードスの乱について見聞きしたことをまとめた記事がエスタード紙に掲載されたのは、一八九七年。更に肉付けされた「奥地」が刊行されたのは一九〇二年十二月二日のことだった。
大地、人間、戦いの三部作からなる「奥地」は、カヌードスについて新たな視点を与えた書物としても知られ、刊行二カ月後に第一刷が売り切れたという。エウクリーデスの確かな視点が捉えた歴史と文化、環境まで含んだ大冊は、今も大学受験の課題図書に選ばれる、息の長い作品だ。