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机1脚、電話1台から半世紀=援協が創立50周年=〝新居〟落成ともに祝う

ニッケイ新聞 2009年8月18日付け

 サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)の五十周年記念式典と記念事業「社会福祉センター」落成式が終戦記念日の十五日午前十時、リベルダーデ区ファグンデス街の地上六階建て〃新居〃で盛大に挙行された。大部一秋総領事夫妻をはじめ、ウィリアン・ウー下議やサンパウロ州議、市議ら、各日系団体の代表者、会員ら約四百人が駆けつけて祝福。関係者一同、日系社会の大黒柱としてさらなる努力と発展を誓った。

 五十年前に「机一脚と電話一台」(森口会長談)で始まった援協は、現在は日伯友好病院をはじめ州内八カ所に福祉施設を持ち、会員一万三千人以上に成長した。
 「先駆者に感謝を込めてこの落成を祝いたい」。菊地義治副会長の開会の辞で落成式が幕開け。来場者が見守る中、森口会長、大部総領事、ウー下議、西本エリオ州議、木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長らがテープカット、記念プレートを除幕した。
 挨拶に立った森口会長は「この建物は和井元会長時代から引き継いだ私たちの夢。援協を支える全ての人々の団結の象徴」と位置付けると拍手が沸き起こった。アレシオ神父の祝福が続いた。
 一同はそのまま地上階を一周して建物を見学、最上階での記念式典に移動した。
 約四百平米の多目的ホールには席に座りきれず立ち見客は百人以上。来賓が紹介され壇上へ上がり、国家斉唱後、一分間の黙祷を捧げ先亡者の冥福を祈った。
 五十年前の移民援護事業にはじまった援協は、診療所、奥地巡回診療、精神障害者の社会復帰、日伯友好病院、自閉症児教育など、コロニアの要望に応えて事業を広げてきた。
 森口会長は日ポ両語で成り立ちを説明した後、「多くの方が援協の働きの大事さを信じ協力してきてくれた」と感謝。「愛の灯火を手で包み消えないようにする―この精神のもと、これからも活動し続けることを誓う」と力強く宣言した。
 神内良一名誉会長の祝電の紹介、来賓の祝辞後、文協、県連、日伯文化連盟、商工会議所の四団体から記念プレートが森口会長に贈られた。
 このほか功労者表彰が行われ、二十六年間役員としてリーダーシップを執ってきた尾西貞夫副会長ら現役員、元役員、中沢源一郎元会長ら物故役員、長年の会員や元職員ら、地区委員功労者、特別功労者・団体に感謝状と記念品が贈られた。
 原沢和夫元会長は「援協の仕事に参画できたことは大きな喜びで誇り」と受賞者を代表して謝辞を述べた。
 式典後は景気よく鏡割りと、さらなる成功を祈って乾杯。地上階に移動して行われた祝賀パーティーでは、日本の歌手井上祐見、中平マリ子さんの歌声も祝賀の日に花を添えた。

福祉センター年内始動=役員らも思い新たに

 昨年三月に定礎式、七月に建設着工して以来、さまざまな困難を克服し、暖かい支援を得て落成式にまで漕ぎつけた援協。社会福祉センターは年内に始動する。役員に抱負を聞いた。
 「みんなで日系社会を良くしようっていう気持ちが大事。苦労した先輩移民が『ブラジルに来て良かった』って思えるようにしたい」と菊地副会長。職員・役員として今年四十年の山下忠男専任理事は「あと十五年位したらボランティア役員は成り立たない。いかにスムーズに後世に引き継ぐかが課題」。
 二十六年役員を務める尾西副会長は、「資金不足に一番苦労してきた。期待は大きく嬉しいが、それに添えるよう堅実な運営を心がけたい」。
 森口会長は、「時代により日系社会の事情が変わってきている。今までの精神は変わらないが、さらに広い一般市民のために尽くしていきたい」と語った。

森口会長に名誉市民権=「援協が受けたもの」

 援協創立五十周年記念式典の中で、森口イナシオ会長(74、サントス出身)のサンパウロ名誉市民権授与式が行われ、同日に落成式を迎えた援協社会福祉センターは二重の喜びに溢れた。
 羽藤ジョージサンパウロ市議の推薦で、同センター建設を通した福祉活動強化への貢献を評価された森口会長は、一九八二年から援協の活動に携わり、〇七年から会長、同センター建設委員長としても尽力してきた。
 羽藤市議は、「医療と福祉活動はとても重要。これからも日系社会を支えて活躍して欲しい」と言葉を送り名誉市民権を手渡した。
 森口会長は、「はじめめは断るつもりだった」と明かしつつ、「これは、間違いなく援協が受けたもの」と話し、会場は大きな拍手に包まれた。