カヌードスの乱は何故?=《3・終》=軍敗退に騒然となる社会=史上最大の流血事件の終焉
ニッケイ新聞 2009年8月22日付け
カヌードスの群れをたかがバイア奥地の狂信者集団と考えていた政府や都市市民は、第三次遠征軍壊滅と将校達の死という、最悪の結末に震撼。
社会は騒然となり、セルトンの現実とかけ離れた世界に生きる都市市民は、群れの背後には共和制転覆を狙う君主制論者がいて武器や食料提供との噂を信じ、君主制擁護派の新聞社襲撃など、君主制論者弾圧も起きた。
一方、政府軍が残した武器を集め、婦女子、老人も戦ったカヌードスでは、ゲリラ戦への自信や団結力も強化。北東伯全域から集まる人々で当時なら一州並みの三万人に成長し、更に堅固になっていく。
このような状況下、共和国の名の下に一七州から集まった軍人が第四次遠征隊を形成し、一八九七年四月にケイマードス到着。武器や糧食、輸送手段を確保し、六月十六日に行軍を開始した。
最初に行軍し始めた第二別働隊は二三四〇人、第一別働隊は三四一五人とされ、普通の大砲一二門と重さ二トンの三二口径大砲も持ち込まれた。
遠征軍とゲリラ兵の衝突は同月二十五日にも起きたが、カヌードスへの攻撃は二十七日から。
数と最新兵器を誇る政府軍に対し、元匪賊ジョアン・アバデらの指揮で集落内外を自由に動きまわるゲリラ。地下壕も使い、大砲破壊や地雷設置など、政府軍は救援を要する程の被害を受けた。
状況の変化は九月で、五日にゲリラのリーダー一人が死亡。翌日教会の塔が破壊され、二十二日にコンセリェイロ死亡。二十三日に集落を完全包囲した軍は、十月一日に総攻撃をかけ、破壊された教会跡で反撃を試みた信者にはダイナマイト九〇本を投じ、火も放った。
三日には、命保証の約束に前日投降の婦女子、老人らも含む約三〇〇人の捕虜大量殺戮も起き、最後のゲリラ兵死亡の五日までの死者は二万五〇〇〇人超。六日には全五二〇〇戸が焼き払われた。
エウクリーデスが、都市部に住む中央政府や知識人ら欧州化された「文明的な白人」が、旱魃や飢餓に悩み、救世主と地上天国を待ち望む、野蛮で狂信的な王政復古主義の「後進的な非白人」討伐と表したこの乱は、人種主義や貧困に喘ぐ人々がより良い生活や人権保証を求めた戦い。セルトンの旱魃や飢餓、社会格差や偏見は今も続き、農地占拠運動などにも繋がる戦いである事も忘れてはなるまい。(終わり)