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〃農業の神様〃日本人の功績を1冊に=記念史『山本喜誉司賞のあゆみ』=苦節4年の発刊祝う=山本博士の親族も出席

ニッケイ新聞 2009年8月27日付け

 「後世に残したい」――。日系農業の功労者を称える山本喜誉司賞選考委員会(高橋一水委員長)は二十二日午後から、『山本喜誉司賞のあゆみ』(藤井剛三編纂委員長)発刊式典を、リベルダーデの文協ビル貴賓室で開いた。文協国士舘での資料焼却事故という厳しいスタートだったが、四年越しの発刊に、歴代受賞者や来賓、関係者約百四十人が集まり喜びの声をあげた。また、故山本博士の次男坦カルロス氏や孫、ひ孫も駆けつけた。

 「農業の神様と言われてきた日本人の歩みを残し、次世代に繋げたい」との選考委員会の強い願いのもと、日ポ両語で書かれた四百一ページの大著は、この日出席者全員に配られた。
 編纂開始後に歴代受賞者の資料が焼却処分されていたことが発覚、「これほど大変だとは思わなかった」と委員も洩らすほど困難を極めた編集だが、無事に昨年第三十八回まで全受賞者百二十四人の功績が山本博士の略歴、コラム、エッセイ共に一冊にまとまった。
 杓田美代子副委員長は、「同品種で受賞した方の功績を時系列で並べれば、ブラジル農業の発展も読み解ける。日系人がいかに貢献したか一目でわかる」と胸を張る。
 式典であいさつに立った木多喜八郎文協会長は、「歴史的出版」と位置付け、高橋委員長は「焼失した資料を一から集めるのは大きな努力が必要だった。子やお孫さんの協力のおかげ」と感謝を表し、「今、まとめなければ日本人の貢献が歴史から無くなってしまっていただろう。次世代にも勧めて」と語った。
 また藤井編纂委員長は、「若い日系農業者が技術革新を続けてブラジル農業を発展させ世界の食糧事情を明るいものにして欲しい」と思いを述べた。
 千坂平通JICAサンパウロ支所長、松尾治百周年協会執行委員長、森口イナシオ援協会長、与儀昭雄県連会長、近藤四郎農拓協会長、新留静コチア青年連絡協議会長、吉岡黎明救済会会長ら多くの来賓が訪れた。
 式典後、第一回受賞者の故柿原義治さんの娘、小田エルザさんに高橋委員長から記念品が贈られた。
 カクテルパーティーに移って乾杯。一九八一年受賞の杉本正さん(92、北海道)は、「家族を養うために一生懸命やっただけ。おまけにこの賞まで頂き、記念史として残って嬉しい」と顔を綻ばせた。
 なお、式典で行われた鈴木孝憲、荒木克弥両氏による記念講演会の内容は後日報じる。