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日伯論談=第17回=日本発=柴崎敏男=〃異質〃なものを受け入れる学校教育を

2009年8月29日付け

 全くの部外者であった企業人が二〇〇五年から企業の社会貢献活動の一つとして在日ブラジル人教育問題に関わり始めました。その活動を進める中でいくつかの問題に直面しました。
 今回はそのうちの主に公立学校に於ける外国籍児童に対する年少者日本語教育に関して述べます。現状改善のために関係者のこれからの努力を期待したいと思います。
 先ず、実態把握が出来ていないことです。この活動を始めるに当たり、子どもたちがどこに何人いて、どの学校に通っているのかを調べようとしましたが、正確なデータが無いことが判明し戸惑いました。
 公立学校に通っている児童でも、日本語指導が必要かどうかの日本語能力の判定基準が無いためそのレベルが一定ではなく、平成二十年度文科省調査による「日本語指導が必要な外国人児童生徒」二万八千五百七十五人が全ての対象者をカバーしているのかも明確ではありません。
 これまでは生活用語が使えると、日本語が出来るので在席学級で学習させることが多かったのですが、学習用語は全く別のものです。幾分改善努力はされているようですが、共通の判定基準の作成とその判定者の育成が必要です。適正な施策の策定・実行にはその対象の実態把握がベースとなるべきです。
 尚、判定テストに関して付言すると、母語での能力試験も必要です。東京都の例では南米でとても優秀だった子どもが日本語でのテストを受け全く出来なかったために自信を喪失し自殺を考えたケースもあります。
 テストは子供の自尊心を失わせるような研究のためのものではなく、今後の良き指導の為に使うべきものなのです。
 次は「日本語」の地位です。日本語教育は日本語が話せるなら誰でも出来るのではなく、それなりの勉強をして初めて適正な教育に結び付きます。
 ところが、学校には日本語の専門家はいません。それをカバーするため経験のある非常勤日本語講師が低賃金で働いているケースが多いのです。これは日本語教育(または日本語そのもの)の地位の低さが大きく影響しているからだと思います。
 言葉が使えるということと、教育が出来ることが全く異なる次元のものである、と言うことが分かっていない場合もあり、東京都のある区では(教育の知見が無くとも)バイリンガルなら良いと派遣業者に丸投げのケースもあります。教育関係者ですらその程度に考えているという実例です。
 そもそも教員免許の中に日本語が含まれていないことが不思議でなりません。「義務教育の対象でない外国人に教える日本語を教員免許としては不必要である」という主張があることも知っています。
 しかし、世界に門戸を開放して百万人留学生受入れを声高に言っている国の発言とは思えません。先ず、外国籍児童(のみならず帰化した外国にルーツを持つ児童)の保全を確約し、ハンディがあるため当然コストが掛かるマイノリティの教育を社会全体が受け入れることを明確にすべきだと思います。
 その次に、これだけ長い間外国籍児童を受け入れながら、年少者日本語教育が確立されていないことです。学術的な研究論文などは多く見られますが、現場の状況と余りにかけ離れています。
 前述のような日本語教育の地位の問題もあり、残念ながら、現場の経験の集積もシステム化されておらず、大人に対する日本語教育法を少しやさしく子供用に手直ししたものを使っていたり、子どもが喜ぶからと言ってゲーム感覚でやるようなことが多く見られました。
 また、外国籍児童の多い地域によっては加配教員や非常勤講師の派遣で日本語クラス/国際クラスという取り出し授業を行っていますが、個々の子どもの発達に応じたシラバス作りなど無いまま、その場その場での対応が多い状況です。   これらが本当に子供たちのためになっているのでしょうか。発達心理学や認知言語学のような他の分野の専門家も入れた年少者日本語教育の確立が急務ではないかと思います。
 日本語教育を立て直すには、日本語の地位向上と同時にそれを主張できるように、もう一歩踏み込んだ調査研究が必要に思われます。
 一方、現場の教員も外国籍児童以外の三十数名の生徒たちや、モンスターペアレントへの対応等に追われながら日本語の習得が充分でない子どもに的確な指導を行う大変さは想像に難くありません。とはいえ、子どもたちは言葉が通じなくとも友達のいるクラスに帰りたがっています。
 在席学級がその子の居場所なのです。ところが、在席学級の教員によっては日本語クラス/国際クラスにお任せ、ということもあります。先ずは在席学級が中心となるべきで、その担当の先生を周りが支援する体制が本来あるべき姿です。 マイノリティ(孤立している先生)がマイノリティ(外国籍児童)を教えている、と自嘲気味に語る先生がおられましたが、その状態をなくさねばなりません。
 最後に…外国人を受け入れるためには、異質なものを受け入れない社会の体質そのものを変えなければならないと考えます。私たちはまさに今そのターニングポイントに立っているのではないでしょうか。
 ユーラシア大陸の端に追いやられた私達の祖先は中国大陸、朝鮮半島から多くを学び、出島を通じヨーロッパの文化を受け入れ、明治維新、第二次大戦後には更に西欧文化のシャワーの中で発達してきました。今も生活の殆どを外国に頼り、日本に在住する外国人の方々の力に拠っていることは紛れも無い事実です。
 外国籍児童のみならず日本人の子ですら少しでも異質な面があると何故「いじめ」の対象となるのでしょうか。何がこのような世界にしてしまったのか。いじめる側を見てもそのように育ってしまった子どもたちは不幸です。これは私たち大人の責任です。差別の芽は小さいうちに摘み取らねばいけません。
 学校によっては他の生徒も一緒になって外国籍の子どもと学習することで、周りの子も大きく伸びたケースも報告されています。外国籍児童と席を同じくすることは異質なものを受け入れる心を育てる良い機会のはずで、その方向に進むことを期待し、これからも将来の宝を育てる気持ちで活動を続けて行きます。

柴崎敏男(しばさき・としお)

 1970年三井物産入社。鉄鋼製品輸出業務を担当。77年から90年にかけて2度、通算10年ドイツに滞在。00年より広報室(現広報部)で社会貢献担当として活動を始め、05年より国際交流・教育案件として在日ブラジル人子弟支援活動を開始。