ニッケイ新聞 2009年9月11日付け
ノロエステを取材すると、なぜか心を洗われる気がする。原点に返らされ、忘れてはいけない大事なものを思い出させる何かがある。「移民のふるさと」と呼ばれるのは、単に歴史があるからだけではないとしみじみ感じる▼ノロエステ連合創立五十周年式典を取材して、とても温かい気持ちになり感銘を受けた。アラサツーバ市長と昼食時に歓談していて、「ボクは子ども時代に家族で白石一資会長の農場で働いていた」と聞いて驚いた。白石会長に確認すると、「彼はとてもウミウジ(慎ましい)な家庭に生まれ育って州議になり、市長にまでなった。日系社会と縁が深い立派な人です」と太鼓判を捺す▼市長は続ける。「この講堂は一般市民にとっても、思い出深い場所。この町で一番大事なイベントは、ここで行われたといっても過言ではない。例えば八〇年頃、ジルベルト・ジルやエリス・レジーナがここでコンサートを開き、文化的エリートが集まった。この町は大きく成長したが、今も特別な場所です」と敬意を示す▼夜行バスで早朝六時過ぎに到着しすぐに会館に向かったら、もう婦人会のみなさんがカフェの準備をしていた。六百人分の昼食、夕食を作り、裏方に終始した。宮田美智子会長に聞くと「今日は本願寺バザーとか生長の家の大きなイベントが重なっているから、いつもよりメンバーが少ない。なんとか間に合ってよかった」と胸をなで下ろす▼当日百キロのご飯を炊いた炊事部長の井田絹代さんによれば、金曜日は日本語学校のビンゴ、土曜の仕込みを経ての当日だ。この婦人会あっての連合だと痛感する。縁の下の力持ちにチラ・シャペウ(脱帽)。 (深)