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ジアデマ=沖縄移民資料館が落成=ウチナーンチュの心をここに=母県からの記念碑も除幕=来年中の開館めざし

ニッケイ新聞 2009年9月12日付け

 沖縄県人ブラジル移民百周年の記念事業としてサンパウロ州ジアデマ市の沖縄文化センターで建設が進められてきた移民資料館の建物が完成し、五日、約二百人が出席して落成式が挙行された。母県からは沖縄ブラジル協会長を務める西原篤一氏(在那覇ブラジル名誉領事)が来伯。あわせて昨年の百周年式典で金武町から寄贈された記念石碑、国頭村の寄贈による夫婦像「万国津梁の民」碑の除幕式も行なわれた。先駆者の歩みを伝え、県系社会の心の拠り所となる同資料館。県人会、センターでは来年中の開館を目指して資料集め、整理を進めていく予定で、現在関係者に資料提供を呼びかけている。

 県人移民百周年の記念事業としては最大のものとなる「沖縄移民資料館」。母県から二千万円、市町村、民間から一千万円ずつの支援を受け建設が進められてきた。
 当日の空は厚い雲に覆われながらも、雨に降られることなく落成式を開始。午前十一時過ぎから入口前で南米大神宮の逢坂和男宮司により清め祓い式が執り行なわれ、与儀昭雄会長はじめ県人会、文化センターの歴代理事長や関係者、西原氏、ジアデマ市のジルソン・メネゼス副市長らが玉串を捧げた。
 建物のテープカットを行なった後はセンター入口に移動し、「万国津梁の民」碑と、「いざ行かん我らの家は五大州」と刻まれた金武町の記念石碑を除幕。滞りなく一連の行事を終了した。
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 平屋建ての資料館には今後、展示室や図書室、資料保管室のほか、慰霊室や県人移民のルーツをたどれる家系図室などが設置される計画。映像コーナーなども整備し、歴史の保存とともに伝統文化普及の場として位置付けられている。
 建物の前には沖縄県旗のデザインをイメージさせる円形の空間が設けられ、中央に笠戸丸県人移民三百二十五人の名と、沖縄と移住先国の地図を刻んだプレートが設置された。
 記念碑除幕後、建物の前で来賓、関係者があいさつ。昨年の式典に出席した翁長雄志那覇市長からのメッセージも紹介された。
 与儀会長は「沖縄、ブラジルの皆さんの協力で落成の日を迎えることができた」と感謝を表わし、「これから色々な資料を集めてウチナーンチュの歴史をここに入れ、次の世代へ残していきたい」と決意を語った。
 式典実行委員長の松堂忠顕委員長は「これから人材を選び、中身の充実に努めてほしい」とあいさつ。山城勇元評議員会長は「先人が築いた絆と結束に、常に感謝の気持ちを持たなければ」とし、「これからは我々の肩にかかっている」と述べ、さらなる協力を呼びかけた。

団結の象徴

 三十年以上にわたる分離状態を経て、現在統合を進めている県人会と文化センター。団結の象徴とも言える同センターに、県系社会の歩みを将来へ伝える資料館が落成した。
 学生寮建設事業として始まった同センター。県人会のミラカツ支部長を四十年務め、文化センター理事としても尽力した長田栄治さん(91)は「ここが当初の夢だった子弟の教育の場になり、世界の文化センターになってくれれば」と語る。
 同センターの創設者、花城清安氏の息子で、自身理事長として尽力した花城清賢ジョルジさん(79)は、「皆の協力で立派なものができた。父も喜んでいると思います」と笑顔を見せ、「これから大事なのが資料集め。県人の歴史を子孫に残し、いつでも思い出せる場所になってほしい」と期待を表わした。
 終了後は運動場で昼食会が開かれ、花城さんの発声で乾杯。舞踊なども披露され、午後二時ごろまで和やかなひと時を過ごした。