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デカセギ帰伯児童の現状訴える=中川、二宮2氏が日本で=カエル・プロジェクトを説明=関心高い日本側教育者

ニッケイ新聞 2009年9月15日付け

 【愛知県発=秋山郁美通信員】サンパウロ州教育局と文化教育連帯学会(ISEC)が共同で行う日本からの帰伯児童の支援「カエル・プロジェクト」に関するシンポジウム(主催=三井物産)が九日、愛知県豊田市民文化会館で行われた。会場では約百五十人が熱心に耳を傾けたが、ブラジル人父兄を主な対象とするためにすべてポ語で行われ、半数の日本人参加者は同時通訳のレシーバーを頼りにした。このシンポジウムはブラジル人保護者やブラジル学校関係者などを主な対象に、群馬県太田市、静岡県浜松市、三重県鈴鹿市、岐阜県可児市などのブラジル人集住都市、計五都市で行われた。

 はじめに国外就労者情報援護センター(CIATE)の二宮正人理事長が帰伯後の家族を取り巻く経済的・社会的状況や、起きている問題について講演し、コーディネーターの中川郷子さんは同プロジェクトの概要や具体的実例などを紹介した。
 すでに日本でも、出国前の手続き不備で一部の子どもがブラジルで入学できない、学校側の受け入れ拒否、編入してもポ語の習得が十分でないため苦労して不登校になる場合があるなどの情報は伝えられていた。しかし、そういった子供たちの数は日々増加していて把握しきれないとの話に会場からはため息が聞こえた。
 子供が元気そうに学校へ通うのを見て親が大丈夫と思っていても、実は年齢に応じた学力や思考力がついていない場合もある。その問題を親が認識すると同時に、そうならない教育環境を整える重要さを訴えた。
 質疑応答では、年金や保険についての相談、不登校の子を持ち今まさに帰国を迷っている親の切実な悩みが打ち明けられるなど、個々の切迫した状況が窺われた。
 「在日ブラジル学校が何か協力できないか」と質問したのは、安城市のエスコーラ・サンパウロのパウロ・アフォンソ・ガルボン校長。「とにかく帰国前準備をしっかりすること」と中川さん。

生徒激減するブラジル人校

 同校では、危機直後の昨年十月には生徒が二百五十人いたが、現在は八十人に減り校舎も二つ閉鎖した。同校長は「帰伯を前提とする教育をしているので、子供が帰国したのは悲しいことではない」としながらも、「在日ブラジル学校を卒業しても母国でついていけないのは残念」と話した。
 日本の教育関係者も多く、「送り出す側」の関心の高さをうかがわせた。日本の教育現場やNPOで何か協力できることはとの質問に、「帰国する子供のことはブラジル人がやるべきこと。文化の違いがあるので任せるほうがいい。お別れのときブラジルで頑張りなさいと励ましてほしい」と中川さんは答えた。
 帰伯を考える父兄から「ブラジルの教育に慣れさせるために子供だけ早く帰した方がいいか」との質問に、中川さんは「子供は多くの人が手をかけることが必要。親から離れ捨てられたと感じることや、精神的な不安定さが成長の妨げになる」とし、心理面の支えが重要であると忠告した。
 帰伯するまでほぼポ語を読み書きできなかった子供がサンパウロ総合大学に入学した例もあり、二宮さんは「神の助けはない。どれだけやるか、親がやらせるかで変わる」と力を込めた。

帰伯後はブラジルに任せて

 「本当は石にしがみついてでも残った方がいい」。シンポジウムの後、二宮さんはそう本音をもらした。「食べるのがやっとで帰国しても、学校のことまで手が回らない。日本のように不登校の子を担任の先生が訪ねるようなこともないから、プロジェクトでカバーできない子はたくさんいる」。
 日本では「母国なのだから帰ったら日本よりはどうにかなる」「州の支援も受けてプロジェクトが行われているのだから、ちゃんと引き継いでもらえる」などと楽観視しがち。それどころか問題も一緒に帰国し厄介払いという話まで聞かれる。
 中川さんの「帰国した子供のことはブラジルに任せたほうがよい」という言葉は、日本側は気にせず放っておいてよいという意味ではない。
 経済的な先行きに光が見えてこない日本には、まだまだ多くの外国人が住んでいる。日本は彼らを適応させるための教育に今以上に力を注ぎ、日本に住むすべての子供が将来どこへ行っても力強く成長できる〃根っこ〃を作ってやれるような教育を目指す時代になってきたようだ。