ニッケイ新聞 2009年9月25日付け
仕事柄―より、社会柄というべきか。年配の方と話す機会がよくある。日本の同年代と比べ、きさくな人が多く、日本では聞けない豊かな体験から色々と学ばせてもらっている。ただ、それだけに訃報に接することも多く、人生の儚さについても教えられることになる▼〃きのこ博士〃として知られたアルジャー在住の舘澤功之さんが十九日、心臓発作で亡くなった。年齢は知らない。何度か尋ねたことがあるのだが、「六十過ぎたら関係ないんですよ」と煙に巻かれた。そのせいか、こちらも人生の大先輩にも関わらず、親しくつき合わせてもらった▼一九八八年にブラジルに居を構え、きのこ普及のため全伯を飛び回った。かつては干椎茸しかなく、生椎茸を食べたある老移民が舘澤さんの手を握り、嗚咽したという。「日本人は山の民。懐かしかったんだね」。そう嬉しそうに語っていた▼邦字紙の良き読者でもあった。ときおり投書欄に洒脱なエッセイも寄せた。コラム子の書いた記事の的確な批評もしてくれ、拝聴させられることも多かった。当方の勉強不足を嘆いてか、よく本も貸してくれた。その一冊に出版社の校閲室長を務めた著者のものもあり、「〃校正〃恐るべしーですよ」と言われ、頭をかいたこともある▼小紙の配送は十月一日から、大方の地方で週三日になる。それを悲しんでくれる読者がまた一人減った。「自宅で育てて、食べるのもオツなものですよ」とくれたほだ木から、椎茸が生えないので教えを乞うたばかりだった。心から冥福を祈りたい。 (剛)