ニッケイ新聞 2009年9月29日付け
サンパウロ市ヴィラ・マリアナ区が辺鄙(へんぴ)な田舎であった1900年、グアナバラ・ビール会社(ブラーマの前身)で働くドイツ人ビール職人の子供たちは1日中、あぜ道で遊んでいた。親たちは、子供の教育に悩んでいた。
しかし、ヴィラ・マリアナから、多くのドイツ人たちが当時住んでいたフロレンシオ・デ・アブレウ街のドイツ人学校まで子供が通うのは、至難の業であった。
1901年のある日、ビール会社に職を求めてきた一人の男が、会社近くに小さな家を借りてドイツ語学校を開校、教師になった。学校はブラジルで初めて、男女共学と体罰禁止を導入。
その後、第2次大戦により敵性資産を逃れるため、エスコーラ・ベンジャミン・コンスタンテと改名。現在もドミンゴス・デ・モラエス街とエッサ・ケイロス街の角にある。現在は古い姿を残すか、近代様式に立て直すかで意見が二分。