ニッケイ新聞 2009年10月1日付け
上院外交委員会に召喚されたアモリン外相は9月29日、「ホンジュラスでブラジルは民主主義の守護神役を目指したが、紛争解決の主役を演じたわけではない」と釈明したことを同30日付けジアリオ・ド・コメルシオ紙が報じた。セラヤ大統領を客分として伯大使館に迎えたことで、事態の悪化を招いた。しかし、寄留を拒否したら同大統領は今ごろ殺されていたか内戦状態になったと弁明。ブラジルが最悪事態を回避したので、これからは国連または米州機構(OAS)の出番である。
ブラジル外務省は3カ月前、セラヤ大統領からテグシガルパ空港へ敵前上陸を決行するためブラジル空軍機の貸与を要請された。しかし、断った。これは明らかな内政干渉になり、後日問題を引き起こす。
諸紙で報道されているような紛争解決の主役として、ブラジルが振舞ったことはないと否定。セラヤ大統領が秘密裏にホンジュラスへ潜入し、伯大使館へ向かっていることを、到着の30分前に外務省は情報を傍受。
同大統領の帰還にブラジルの関与が、一切ないことを外相は強調した。野党がクーデターを引き起こした臨時政権の言い分を真に受けるなら、外交官生活50年を経た者として、何もいうことはないと論破した。
セラヤ大統領をかくまう義理があったかについては、問題へ取り組むのに前向きか後向きかの違いだと外相はいう。政府は対話の機会をつくることに努力したが、何かが国際間に欠けていた。
ブラジルに対するOAS批判は「後でいう愚者の知恵」だ。火急時には全員傍観し何もしなかった。「ブラジルがセラヤを追い払ったら何が起きたか。殺害も内戦もなかったことを、国際社会は忘れている」という。
臨時政権に対しては、OASも国連も満場一致で否認判決を下し、単純に割り切った。臨時政権を兵糧作戦で陥れるのならば、ブラジルの出る幕はないと外相がいう。
セラヤ大統領が伯大使館を舞台に政治活動を始めたことで、セラヤ支援者は続々と大使館へ結集した。それが臨時政権を刺激。22日の伯大使館前での支援者鎮圧や、25日の同館内に有毒ガス弾を放り込み、大統領や支援者を苦しめるという行動、27日の非常事態宣言での報道管制や集会規制などに繋がった。
臨時政権は30日、ミチェレッティ臨時大統領の辞任と引き換えに、セラヤ大統領の自宅軟禁を申し入れたと同日付けグローボ・サイトが報じた。