ニッケイ新聞 2009年10月10日付け
「ボクはフルーツが大好き。ここは年がら年中、トロピカルフルーツがあるから永住を決めた」。五十嵐栄祐さん(えいすけ、68、新潟)はニチレイの駐在員だったが、65歳で定年退職し、帰国せずに妻子とベレンに住み着いた。
その五十嵐さんが会長を務めるのが、1975年に創立したアマゾン・カントリー・クラブで、ベレン唯一のゴルフ場(9コース)だ。赤道直下にある数少ない日本人のゴルフ場だ。会員は70人おり、うち7割が日本人だが、10人のブラジル人を含め、韓国人や中国人も仲良くやっている。
70年渡伯だから、もう39年間、りっぱな移民だ。アマゾナス食品工業(AMASA)というニチレイの100%子会社に指導に来ていた。
ゴルフは45歳で始めた。「ブラジル人の友だちがたくさんいる。彼らの前向きな生き方が魅力かな」と五十嵐さん。
パラー州内には全部で5カ所のゴルフ場があるが、全部日系人が経営している。他にはカスタニャール、イガラペ・アスー、カパネマ、トメアスーなどだ。
同クラブの管理をする黒木修さん(64、宮崎県)は「永大やアマゾンアルミニウムの駐在員が多かったね。80年代には会員が150人いたこともある」と振り返る。
サンパウロよりも芝目が硬くて、特に乾季はボールが走りやすい傾向があるという。
ベレン市郊外にも関わらず、36町歩もある。創立時には周囲には何もなかったが、今はぎっしりと民家が建っている。
そんな近所の若者がキャディとして何十人も雇われている。黒木さんは「キャディがうまいんだよね。シネロ(サンダル)で打ってハンデキャップ6というのがいる」と笑う。最高齢は2年前、95歳まで練習していた大嶽一(はじめ)さんだ。
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同州は少年野球が盛んなことで有名だが、80周年を記念するかのように、素晴らしい〃お宝〃が北伯に戻った。本紙7月18日付けで「数奇な運命たどった優勝旗」と報じたように、岸信介総理が北伯野球連盟に寄贈した優勝旗が偶然発見され、届けられたのだ。
この記事の時点では、いつ寄贈されたか分からなかったが、その後『アマゾン60年史』で説明文が見つかった。59年の第3回北伯野球大会の時だ。日米安全保障条約の調印と、それを巡る安保闘争が起きた激動の第2次岸内閣の時代だ。
戦前から野球が盛んだったトメアスーではピメンタ景気が始まったばかり。勢いのついたアマゾン入植30周年の記念行事の一つとして野球大会が組入れられて盛大になった。その時、現役の岸総理より優勝旗の寄贈があり、千葉三郎特使から優勝したコケイロ・チームの選手へ手渡されたという。
それがいつの間にか盗難にあい、別の旗を作って代用している間に、盗難された事実すら忘れられていた。
ところが、昨年暮れ、サンパウロ市内在住のある戦後移民が自宅で盗難にあった品物を買い戻そうと、サンパウロ州沿岸部サンビセンチ市の泥棒市を見に行った時、偶然発見した。
泥棒市はいつ、どこで行われるか分からない。しかも北伯から盗まれたものがいつ、どんな経路を通ってサンパウロ州海岸部まで至ったのかは、まったくの謎だ。「放り投げられるように無造作に置かれていた」という。
「どうしてこんな大事なものが」と同移民はとっさに大枚はたいて買取り、岐阜県人会に善処を依頼した。その後、ブラジル野球連盟を通してパラー野球ソフトボール連盟会長に戻された。
ブラジル野球連盟の沢里オリビオ副会長によれば、「安く見積もっても7千ドルから1万ドルはする。まして総理のだから幾らするか分からない。大変貴重なもの」と価値の高さを強調した。
発見者の戦後移民は「総理大臣寄贈の貴重なものが、あのまま放っておいたらどうなったことか。想像しただけで背筋がゾッとする。無事に返ってよかった」と本紙の取材に胸をなで下ろしながら語った。(続く、深沢正雪記者)
写真=左から2人目が五十嵐栄祐さん、3人目が名井良三在ベレン総領事