ニッケイ新聞 2009年10月10日付け
農林大臣として来伯した事もある中川昭一氏が急逝した。自宅の寝台にうつ伏せになっているのを夫人の郁子さんが見つけて病院に連絡したが手遅れだったらしい。睡眠薬と酒を飲んでいたらしく、あまりに急な遠行(えんこう)に遺族や麻生前首相らは唯々―呆然としている。父・中川一郎氏の「自殺」もあるし、2代続けての異様な永眠?である▼昭一氏は自民党内でも政策通で知られ、保守派の論客として論陣を張り支持者も多い。言うまでもなく、父の一郎氏は若手タカ派のリーダーであり、東京の石原慎太郎知事が衆議の頃に命名したとされる「青嵐会」を設立し代表に就任している。農林省の官僚から大野伴睦氏に誘われ政界に入り頭角を現したがー83年1月に宿泊していた札幌のホテル浴室に倒れているのを貞子夫人が発見している▼初めは心筋梗塞とされたが、2日後には「自殺」と公表されたため「他殺説」が巷間に流れ今もって「謎」とする向きもいる。国会の敷地で立小便をし写真に撮影され話題になるなどの暴れん坊だったが、息子の昭一氏にも「酒」という大いなる弱点があり非難もある▼G7財務相・中央銀総裁会議の後の泥酔会見はあまりにも有名だし、スペイン国王のカルロス1世を迎えての宮中晩餐会でも飲みすぎて失態を演じ新聞でも報道されている。どうも、この悪癖は生来のものらしく、何回となく断酒を決意するのだが、泉下に旅立つまで般若湯との縁は切れなかった。趣味は水鉄砲とサッカー。大の読書家であり政策に強い政治家の死は真に残念であり、惜しい。 合掌。 (遯)