ニッケイ新聞 2009年10月16日付け
【愛知県知立市発】やっと畑の向こう側が見えるようになった。国道23号線を自動車が飛ばし、その下には新幹線が往復している。
黒岩ミチオ・オズワルドさん(54)は、胸のあたりまで茂っていたセイタカアワダチソウを丸2日かけて刈り終えた。
地面が見えるようになって、そこが大きな石だらけの固い土地であることがわかった。農地に囲まれてはいるが、家を建てるために土が盛られた場所だったのだ。
サンパウロ市出身の二世。訪日前は父親と農業やセアザの仲買人をしていた。12年前に来日してからは工場を転々としていたが、昨年浜松市の知り合いの下で農業を手伝い、再び農業をやりたいと思うようになった。
そして息子らのいる知立市へやってきたのを機に、畑を持つ決心をした。
「おじいさんのシッチオは、20アルケールくらいあったね。あの家から向こうの学校までかな」。遠い目で故郷の広大な土地と日本の田舎町を重ねる。
耕うん機に寄りかかり、一服休憩をしながら話す様子は、初めて市役所で会ったときとは別人のように気合が溢れている。
「農業がやりたい」。畑を始める約1カ月前、黒岩さんは妻のたまえさんと共に市役所を訪れた。比較的日本語の得意な妻が主に生活相談のボランティアと話し、たどたどしい文字で書かれた「経歴」を見せた。
「ブラジルで30年のうぎょうしました。やさいつくりました。ほうれんそう、かぶ、フコラ、大根、パクチョイ…」。これまで作った野菜の名がすべて書かれていた。しかし、日本人相談員がそれを読んでなんの野菜かを理解するのは難しく、たまえさんから聞き取りをしながら書き直した。
「その間、黒岩さんはあらぬ方向を見ていたり、ほとんど口もきかず、とてもやる気があるようには見えませんでした」と相談を受けた高須優子さんはその時の印象を話す。
「この人は働くんだから、と旦那さんのお尻をピシャッと叩いたのを覚えています」。
固定資産税分だけで土地が借りられることが決まると、本契約を待ち切れず、草刈だけでもと黒岩さんは雑草畑のような土地に乗り込んだ。
残暑厳しい中、夜明けから日が暮れるまで荒れた土地と格闘した。草刈りに丸2日、石灰や120キロの鶏糞を混ぜながら根の残る土を耕した。
「売って3日間で刃がこんなにぼろぼろになったのは見たことないですよ。これは開拓ですね」。耕うん機の様子を見にきたヰセキ農機の販売員も唖然としていた。
11日目には、既にアパートのベランダで用意していたクエントロやサウサの苗を植え始めた。
秋を迎えようとしている休耕田の中で、小さな芽を出したばかりの畑には鳩が集まり、ところどころ苗が抜かれている。
とりあえず苗を植えてはみたものの、やはり石が多すぎて再び掘り返すこともあった。
「ブラジルではこんなことしなかったよね。大きな機械も揃っていたし、土もできていたし、ここはエラいよ」。その苦労に満足したような表情でつぶやく。
派遣村の日本人ボランティアが様子を見に来た。
「これは何ですか」。アルファッセ、アグリオン、アボーブラなど日本では聞いたことのないブラジル野菜の名前を出されて興味津津の様子。石拾いを手伝ったり家庭菜園の相談をしたりして帰って行った。
作業中は黙々と土に向かっているが、休憩のときは昔を懐かしむように故郷の話をする。「8回もアサルトあったよ。一度帰国したときも兄弟の家で襲われた。もうブラジルには帰らない」。
かと思えば「ジャバクアラのフェイラでも売ってたよ。日本の野菜とかね、中国の野菜はあのころまだ新しかった」とも。
土を触ると思い出すのだろうか。突然しゃべりだし、返事を待つわけでもなく、また黙って耕うん機に戻った。(続く、秋山郁美通信員)
写真=わずか3日で刃がぼろぼろになった耕うん機を駆って、黙々と作業を進める黒岩さん