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現代の開拓者たち=新境地拓く在日ブラジル人=(5・終)=マッチョなパパは洋菓子店=婿入りして就職に奮闘

ニッケイ新聞 2009年10月22日付け

 【愛知県知立市発】「ジャムおじさん行ってらっしゃい」。2歳の長女リアナちゃんに送り出されて向かうのは、人気の洋菓子店。
 ササキ・アキラさん(30、三世)は、これまで機械油にまみれて車の部品やプレスの会社に勤めていたが、今は甘い香りに包まれてドーナツの袋詰めや掃除をしている。
 「最近はドーナツの作り方を教えてもらう」。トッピングの際、チョコレートをブラジル流にたっぷりつけて叱られたという愛嬌の持ち主。筋力トレーニングが趣味というがっしりした体つきと強面に似合わず、にっこり笑顔を見せる。
 日本人の妻、英里さんはアキラさんの変化を話す。「前はうちで仕事の話なんかしなかったのに、新製品のドーナツがどうだとか、同僚に愛妻弁当をからかわれたとか、会話が増えた。そういうのは嬉しい」。
 昨年12月、事故で怪我をしたのをきっかけに勤めていた工場を解雇された。下の娘が10月に生まれたばかり。すぐに再就職先を探したかったが、腕を骨折していたため就職活動ができず家で暇をもてあましていた。
 今年初めから、市内に住む英里さんの両親と同居を始めた。ブラジル人の友人はほとんど帰国していった。
 ようやく医師から許可が出て、ハローワークへ通い始めたが、不況のど真ん中。これまでは工場勤務ばかりで来日して11年になるが日本語は苦手。日本語を使う仕事は考えられなかった。
 何か一つでも資格があればとフォークリフトの資格を取った。「でも初心者じゃだめだった」。
 やっと採用された会社は、行っても「今日は仕事がない」と帰されるような状況と横暴な対応ですぐに見切りをつけた。
 英里さんがパートに出ることも考えたが、幼子二人抱えてとなるとなかなか条件が合わない。
 そんなときインターネットでこのアルバイト募集を見つけた。「正社員になるチャンスもあるって書いてあった。とにかく働かなくちゃと思って面接を受けた」。
 同居で英里さんの親と会話する機会が増えたことで日本語もだいぶ上達していた。「面接で、怒っているんですかと聞かれ、こういう顔なんですと言った」。落ちたと思っていたが「笑顔で頑張ってください」と採用が決まった。
 「工場のほうが給料はよかったけど、きれいな職場。みんなやさしいね。こういう仕事もいいと思う」。現在はまだ裏方の仕事が多いが、ブラジル人の正社員もいて励みになる。
 日本人との結婚を機に日本への永住を決意していた。家族はパラナ州クリチーバだ。「まだお母さんには言ってない。きっと泣くだろうな」。
 妻の家族と同居し始めたころは戸惑いもあった。「プライバシーのこととか、食事のこととか。でももう慣れた」。
 良い意味で義父母が遠慮なく接するためか、ほとんど壁はなかった。仕事の見つからないアキラさんに庭の草取りや家の修理、壁の塗り替えなどの雑用を頼んだ。
 またアキラさんも積極的にブラジル料理を作って義父母に食べさせたり、リアナちゃんにポ語を教えたりして、いい関係ができてきた。
 話を聞いている最中にも、二女のカリナちゃんが目を覚まして泣けば飛んで行って抱っこし、おむつを替え、子煩悩なことが窺える。
 「たまにガレージで一人で肉を焼いてる。のびのびしたいときもあるみたい」と英里さんは笑って話す。
 最近になって、アルバイト期間が延長されることが決まった。以前面接を受けた工場の仕事からも採用の連絡が入っていたが断り、エプロンを着続ける道を選んだ。
 「まだ先のことはわからないけど正社員になりたい。早くお金貯めて、みんなでブラジルの家族に会いに行きたい」とアキラさんは展望を語る。
  ☆   ☆
 景気回復をじっと待っていても、製造業では以前のような派遣労働者や外国人への仕事は戻らないだろうと言われる。
 生活保護や様々な支援策で食いつないでいても、仕事を〃開拓〃し、新たな苗を植えなければ残ることはできない。
 すべての人の日常に挑戦のきっかけはある。移住者であっても、それは同じ。ハトに啄ばまれないような根を張れるだろうか。日伯両側から、温かい目で彼等の挑戦を見守りたいものだ。(終わり、秋山郁美通信員)

写真=がっしりした体つきのササキさん(右)と妻、英里さん(左)