ニッケイ新聞 2009年10月23日付け
ここ十五年ほどサンパウロ市が音を立てて近代化するなかで、すっかり姿を消したモノが幾つかある。その一つがバンカで売られていたコルデルではないか。民衆によって口から口へ伝承され、愛され、記憶されてきた詩(韻文の大衆文学)を小冊子にしたものだ▼『ブラジル民衆本の世界(コルデルにみる詩と歌の伝承)』(ジョゼフ・ルイテン著、お茶の水書房、1990年)には、コルデルに描かれている日本移民を分析する興味深い節がある。最初に日本移民が登場したのはサンパウロ市ではなくアマゾン河流域のベレンだという▼『日本人は刺傷をおうだろう』(1941年12月20日)というコルデルには「日本人はたいへん醜く、その顔は蛙のようだ。日本人をみても人間とは思えない。その目はスイカの種のようだ」(同182頁)と容姿をけなすだけでなく、「日本人は危険なスパイだ、ある国に潜伏すると…シャーベットを売るふりをして巷の声に耳をかたむける」などと当時「第五列=スパイ」と言われていた風潮を裏付ける記述がある▼そんなに危険視しているにも関わらず、「日本人は野菜を植え、キャベツほどのトマトを作る」などという誉め言葉(?)も織り込まれており、当時のトメアスー組合がすでにベレン市民の食卓に〃革命〃を起こしていたことがうかがえる。出版日が真珠湾攻撃のすぐ後だけに反日気運が強かった▼著者は一万冊も調査したが欧州系移民についての言及はほとんどなかったという。日本移民はブラジルにおいて最も縁遠い文化と人種的特徴をもつ存在として目立った。現在の良いイメージに定着するには実に長い時間がかかったのだ。 (深)