ニッケイ新聞 2009年10月29日付け
ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)主催の「移民のふるさと巡り」が9月15日から21日まで実施された。32回目となる今回の訪問地は、移住80周年を迎えたアマゾン。過去最多となる211人が参加し、日本移民が最初の一歩を踏み出したトメアスーからベレン、マナウスまで3カ所の祭典を訪れ、喜びを分かち合った。
一行がアマゾンを訪れるのは3回目。80周年慶祝を目的とした今回は、青森、栃木、滋賀、鳥取、島根、福岡、長崎、鹿児島、沖縄の県人会長が参加。滋賀県人会の山田康夫会長が旅行団長、与儀会長が慶祝団長という陣容だ。県人会長ら第一陣が15日早朝に空港から出発する光景を、さっそく映像担当の畑勝喜さんが収録。
午後1時、無事にベレンへ到着すると、同地祭典委員会の須藤忠志実行委員長(汎アマゾニア日伯協会副会長)、歓迎副委員長の恩地民雄さん、同文協前会長の小野重善さん、ベレン福岡県人会顧問の岩坂保さん(92)らが迎えに。福岡県から到着する予定の海老井悦子副知事ら慶祝団を迎えに来たという。
サンパウロからの250人をはじめ、計約300人がこのために来るという。「準備がたいへんですよ」と疲れた表情ながらも、須藤さんは「にぎやかになると思います。ゆっくり楽しんでください」と話した。
一行はトメアスーへ向かう前に空港内で昼食。レストランに入ると援協副会長の菊池義治さんが一人の男性と話している。福岡県から参加した山口博文さん(70)だった。二人は南米産業開発青年隊5期の同期。山口さんは今年4月まで9年間、福岡県海外移住福岡地区家族会の会長を務めていた。今回同期の渡伯50周年、80周年を機に来伯したそうだ。
パラナ州ウムアラマの合宿所で過ごした青年時代。「道が悪くて、3カ月間食料が届かないこと」や「カボチャばかり食べていたら肌が黄色くなった」と笑う。
午後3時、昼食を終えた一行はバスに乗り込み、トメアスーへ向かう。ベレンから南へ約250キロ。早起きの疲れか、車内で一休みする一行。2時間ほど走り、ブジャルーからグァマ川を渡るバルサへと乗り込む。川風に吹かれ、暑さがやわらぐ。
約20分で向こう岸に到着。そこから再びバスに揺られ、トメアスーに着いたのは午後7時過ぎだった。
ホテルで夕食のつもりだったが、聞けばトメアスー文協で前夜祭が開かれているという。記者は一行と分かれ、12キロ離れたクアトロ・ボッカス(十字路)の同文協へ。到着すると会場は満員のにぎわいだ。ちょうどパラグアイ・イグアスー移住地の太鼓グループ「鼓太郎」が演奏しているところだった。
昨年も同地を訪れた歌手の宮沢和史さんと、亜国生まれの大城クラウディアさんが出演。ヒット曲「風になりたい」のほか、沖縄系の大城さんとともに琉球民謡などを熱唱。大城さんは亜国日系社会を思い起こし、「初めて来た気がしない」と話していた。
1929年9月22日に最初のアマゾン移民が到着したトメアスー。ここから北伯日系社会の歴史が始まり、多くの人材がブラジル社会へと羽ばたいていった「アマゾン移民のふるさと」だ。
節目の式典が行われる16日は、第1回移民が乗った「まにら丸」がベレンの港へ到着した日。15日の夕方には追悼法要が営まれ、これまでに同地で亡くなった834人の御霊を偲んだ。
入植80周年の祭典委員長を務める海谷英雄・同文協会長(山形、66)は、62年に移住して以来住み続ける。「若い人たちが、村を継ぐ人として真剣に取り組んでくれている。慰霊祭、前夜祭にもたくさんの人が来てくれ、トメアスーの団結力を感じます」と、翌日の式典に向け気持ちを新たにしていた。(つづく、松田正生記者)
写真=トメアスー文協の海谷会長/バルサでグァマ川を渡る県人会長ら