ニッケイ新聞 2009年10月31日付け
百周年協会(上原幸啓理事長)とブラジル日本協会(Instituto Brasil-Japao、中矢レナット理事長)が共催する100周年評価シンポジウムが26~27日に、サンパウロ市の国際交流基金日本文化センターで行われ、この百年間の日本移民やその子孫のブラジル社会への貢献を八つの分野に分けて評価した。会場は常に8割以上が埋まる盛況ぶりで、感心の高さが伺われた。
開会式で渡部和夫実行委員長は「百周年は一般社会から予期しない大歓迎を受けた。その期待に応えるよう日系社会はこれからも建国への貢献を続けなくては」とシンポの主旨が説明された。
飯星ワルテル伯日議連会長も、日伯交流におけるデカセギの存在の重要性を強調して「グローバル化した世界における日系人の役割を再考する時代になった」と語り、日伯社会保障協定(年金通算など)が来年初めにも結ばれる可能性があることを明らかにした。
島内憲駐伯大使は「デジタルTV、新幹線、バイオ燃料など日伯関係の新モデルが生まれている」と絆を強める方向にあるとのべた。
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最初のテーマ「百周年とメディア」でコーディネターのオクバロ(保久原)ジョルジ氏は、04年7月にエスタード紙が組んだ「百周年への道」という最初の特集号を紹介、グローボ局では昨年3月からの3カ月間で250本のもの百周年関連の報道がなされるなど大量に報道された様子を振り返り、日本の全国紙での主な連載記事名を連ね、その中で最多の署名記事を書いたのは朝日新聞の石田博士特派員(当時)だったと紹介した。
「団体行動精神と日系社会の組織」で桜井セリア教授は「和太鼓とマンガ、アニメなどが若者を取り込む牽引力となっている。昨年を機に休眠状態にあった日系団体が復活している」とし、与儀昭雄県連会長も「沖縄系では建築資材店網で110店も加盟するところや化粧品で70店という例もある。昔を懐かしむ会活動だけでなく、商業的なつながりのなかで日系活動を広げている」との実例をのべた。
「運動と娯楽」編では、バルテル・フェウデマンサンパウロ市スポーツ局長が参加し、「私はユダヤ系子孫でゲットーという言葉には敏感。日系はそうならず、運動分野で社会統合を成し遂げている」と称賛、百周年で市がポン・レチーロ野球場を改修したことを強調した。
「知的分野」編で原田清弁護士は米国、カナダ、ペルーの日系社会と比較し、一般社会が戦争中に強い反日風潮を形成したため、戦後もブラジルのような幅広い日系人の社会上昇が見られなかったとし、学術、医学、軍、法曹など各界での目覚ましい活躍を列挙した。
翌27日の「農業」編では、農業大学だけで105人もの日系教授がおり、農業者としてだけでなく学術面からも支えていると強調した。
「デカセギ」編で愛知淑徳大学の小島祥美講師は、デカセギ子弟で英語検定試験(TOIEC)で900点とってカナダに留学している例を紹介し、「バイリンガルになる可能性がある」と述べ、日本の公立校も外国人児童受入れ態勢を試行する中で変化してきたとの肯定面を披露した。
二宮正人CIATE理事長は「日本移民がブラジルの大学に入るまでに25年かかったが、在日ブラジル人は20年でたくさんの卒業者を出した。帰伯子弟の中にはUSP法学部に入学した者もいる」とした。
「日本文化」編で同基金の高橋ジョー氏は、百周年関連でブラジル全体で2500もの行事が行われ、大手紙だけで990本の記事、テレビで350本、ラジオで1500本、ネット上には2千もの記述があったとの成果を報告し、同日伯協会が米国NYのジャパンソサエティのような存在になることで更に文化普及に貢献できると提言した。
「総括」の中で桜井教授は「今までは若者が日系団体から離れる〃内から外へ〃という動きだったが、百周年を機に〃外から内へ〃に変わってきている」などと若者層取り込み策が課題であるとし、中矢理事長は「我々の子孫は200周年を祝うだろう」との希望を語った。