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レヴィストロース逝く=ブラジルを愛した仏人類学者=USP開学時の教授の1人

ニッケイ新聞 2009年11月5日付け

 20世紀を代表する文化人類学者で思想家のクロード・レヴィストロースが死去したと3日に公表され、4日付伯字紙などが一斉に報じた。
 1908年11月28日にユダヤ系フランス人の家庭に生まれ、パリ大学で哲学などを専攻。フランスで高校の哲学教師として奉職中、恩師からサンパウロ総合大学(USP)社会学教授としての赴任の打診を受け、1934年に渡伯した。
 当時のUSPは、哲学や文学、医学などの既存単科大学と研究機関を統合し総合大学として開学したばかり。著名で大成した学者より新進気鋭の若手を迎えよと命じられた運営委員が、仏、独、葡、伊各国から招いた学究の1人で、同船者には同僚の仏人教授もいた。
 1939年までUSPで教えたレヴィストロースは、民俗学にも興味を持ち、大学の休暇などに先住民調査も実施。対象は、パラグアイとの国境に住むカデュヴェオ族やマット・グロッソ州に住むボロロ族。調査結果は、フランスへの一時帰国の際、パリの人類博物館などで発表された。
 その後、内陸部を横断する長期調査も行い、アマゾン川支流に暮らすナムビクワラ族やトゥピ・カワイブ族などの生活にも触れている。
 USP退任後、母国に帰ったレヴィストロースは、1941年にナチス占領下にあったフランスからアメリカに亡命。ここで「構造主義」の考えを深め、この研究手法を人類学にも適用した。
 34年の渡伯までの経緯や現地調査などでの体験、さらに米国への亡命を経てフランスに帰国する頃までの回想録「悲しき熱帯」は、世界的なベストセラーともなった。
 また、先住民調査の結果を構造主義手法を用いて分析した「親族の基本構造」は画期的研究として注目を集め、未開社会にも一定の秩序や構造があり、西洋社会との差は優劣を言うべきものではないと主張した「野生の思考」は、現代思想にまで大きな影響を与えた。
 教え子には70年代にフランスで薫陶を受けた故ルッチ・カルドーゾ氏らもおり、「サンパウロへのサウダージ」「ブラジルへの郷愁」には、ブラジルを愛し、懐かしむ同氏の心情が写真を通して表されているという。