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県連ふるさと巡り=アマゾン80周年式典へ=過去最多の211人参加=連載《終》=混ざらない謎の合流点=日系進出企業が続々と

ニッケイ新聞 2009年11月6日付け

 マナウス市で慰霊碑を参拝後、ふるさと巡りの一行は碑の近くにある「アマゾン自然科学博物館」(橋本捷治代表)を見学。日本移民80周年の1988年に礼宮文仁親王殿下(当時)ご出席のもと開館した、国内で数少ない民営自然科学博物館だ。貴重な蝶や昆虫の標本、魚の剥製のほか、巨大な水槽ではピラルクーが悠々と泳ぎ、訪れた人を引き付ける。
 偶然見学中だった井上信治衆議にベレン、マナウスの両式典の感想を問うと、「気持ちがこもった手作りの式典と感じた。出席した皆さんも、苦労した昔を思い出して来ているのが分かった」。5度目の来伯で初アマゾン。「思った以上に発展している」と語り、「我々も協力できたら」と話していた。
 帰路、園田昭憲副会長が憩の園に県連40年誌を寄贈。バスはその後、ネグロ河畔に向かい、ソリモンエス川との合流地点を訪ねる船に乗り込んだ。「黒い川」を意味するネグロ川と、ソリモンエス川との合流地点に到着すると、茶色と黒、2色の水が混ざらないまま続いている。
 森に覆われた対岸を見ながら、参加者の中野文雄さん(88、福岡)は、少年時代に開拓へ挑んだ自身の体験と重ね合わせ、「今思えばあの頃は夢があったから、道なき道を20キロも30キロも歩いて作物を売った。今の人はできないでしょうな」と一言。
 船は川を上って水上レストランへ。この辺りの水上家屋は流木を組み合わせた上に建てられており、増水時にはそのまま浮かぶ仕組みだ。
 帰路は船でホテルへ。途中で作りかけの橋を通り抜けた。ベラ・ビスタ移住地の人たちを悩ませ続けたネグロ川、マナウスから対岸のマナカプルーまでの約3キロを結ぶ橋だ。来年に完成の予定という。
 次第に陽が沈み始める。陸地を見るとマンションが転々と建つ。「20年前にはホテルまで全部森だったけどね」、ビデオカメラを手に畑勝喜さんは感慨深げ。やがて船はホテルへ到着、ボイ・ブンバのショーを見ながら最後の夜を過ごした。
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 いよいよ最終日。午前中は、日系進出企業の工場を訪れることになった。フリーゾーン設置から42年。マナウスにはホンダやヤマハ、パナソニックなど大手をはじめ30以上の日系企業が進出している。
 今回は、園田副会長ら8人ほどで、バイクのキーセットを製造するホンダロック社と、バイクのチェーンを製造するDID社を訪れた。
 その一つ、ホンダロック・ブラジルは宮崎県に本社があるホンダ子会社の車・バイク部品メーカー。3年前にマナウスへ進出し、現在は同地のモトホンダ・アマゾニア社向けのバイク・キーセットを年間100万セット以上生産する。従業員は約300人。
 工場長の藤本明さんに説明を受けて見学。藤本さんに従業員の様子を聞くと、「いろいろと『痛い』と言って休む人もいるし、真面目な人は真面目。来る前に調査しましたが、来てみていろいろと分かります」と話す。
 同社では進出に当たって在日ブラジル人を採用。日本で研修後、帰伯したブラジル人が現在、工場運営の中心に携わる。進出に伴う現地側でのコミュニケーション問題も、この方法によって乗り越えているようだ。今後もブラジル人を日本で育成し、ブラジルの工場で雇用することを検討しているという。
 工場見学後、ホテルへ。やがて一行を乗せたバスは空港へと出発、同日夜、無事にサンパウロへと到着した。
 アマゾン3カ所、計9千キロを移動した今回のふるさと巡り。参加者たちは共に80周年の節目を祝い、共に先人の苦労へ思いをはせた。
 前夜開かれたマナウスの祝賀会で与儀団長は、「これからも全伯で交流を強めていきましょう」と呼びかけた。ふるさと巡りの200余人によって蒔かれた種も、いつか芽生え、育っていくのかもしれない。(おわり、松田正生記者)

写真=アマゾンに沈む夕日とふるさと巡り参加者たち