ニッケイ新聞 2009年11月13日付け
最初に先亡者に一分間の黙祷を捧げ、式典委員長の池田収一さんが挨拶で、この会館を建設した諸先輩の努力と苦労を偲んだ。
黒川瑛輝(えいき)文協会長は「私は7歳からここに通っている。父の時代にこの会館は、みんなが苦しい財政状態の中から、3年間の分割払いで払った。我々も諸先輩から受け継いだものを、これからも守り続けなくては」と呼びかけた。
ラビン市長も「55周年まで続けることは容易ではない」と賞賛した。
後藤猛在聖領事は「地域社会の発展に大きく寄与されていることは、まことに喜ばしい」と喜んだ。さらに、来年55周年を迎えるブラジル日本文化福祉協会の呉屋晴美副会長は、「(サントアンドレー文協は)我々の文協ビルの建設運動の立役者の一人であり、良き先輩として敬意を表したい」とのべた。
竹本泰二顧問は「55周年とは最初は中途半端な年数と思っていた」と振り返り、「だが、5年前には寄付金に頼って破産寸前だったのに、いろいろな行事を始めて収益を増やし、健全化を図ったのは立派。中でも老人向け健康保険とコンピューター教室を始めたことを高く評価する」と節目としての変化を語り、現在の役員等の功績を讃えた。
保久原正幸評議員議長は、「戦後最初に創立された日系団体の一つである」とその価値をのべ、牧半治サントアンドレー連合会会長も「顔だけの日本人ではダメ。ブラジル生まれですが、心まで日本人になって日本文化発展のために尽くしましょう」と熱く語った。
来賓や功労者、すでに亡くなった歴代会長の夫人、85歳以上の高齢者らに記念品が手渡された。最後に高原勝弘さんが「一世の時代は終わり、二世の方々に会の運営をお願いいたしますが、今後ますます日系人の心の拠り所として会を大きく発展させてください」と祝辞をのべた。
高島末利さんの音頭で乾杯を行い、ラビン市長と黒川会長がボーロカットをした。昼食の後、午後2時から余興となり、上田舞踊団、白寿会、藤間流、花柳流などの団舞や舞踊が次々と約25演目も披露され、和やかな1日を過ごした。
サントアンドレー=市が教科書1トンを寄付=姉妹都市高崎の要請受け
同祝賀会の中で、竹本泰二顧問は、ブラジル人子弟の教育が大きな課題となっている群馬県大泉町や太田市のために中古の教科書の寄贈をお願いしたいと姉妹都市である高崎市が要請してきたことを明かし、サントアンドレー市役所はそれに応えて、1トンもの新品教科書を送ったと報告した。冊数にして約900冊余りで、小学生向けの教科書だという。
10月15日には日本に到着しており、静岡県浜松市などのブラジル人学校にも分けられ、「各地で感謝されたと聞いています」という。
ニッケイ新聞の取材に応え、ラビン市長は「日本に住んでいる、困っているブラジル人同朋への支援として、愛情を込めたつもりだ。だから中古でなく新品を送った」と語った。今年1月に就任したばかりの同市長は、「機会があれば、ぜひ高崎市を訪れたい」の抱負も語った。
08年4月には、高崎市が姉妹都市提携をする5都市代表がそろって「市民環境会議」をサントアンドレー市で開催するなど、活発に交流を続けており、経済危機のさなかにおいても次節に即した形で関係を保っている。