ニッケイ新聞 2009年11月17日付け
森繁久弥がしみじみと哀しく唄う「知床旅情」は真にいい。フアンから森繁節と呼ばれる歌唱法は独特なものであり、あの渋い音で語りかけるような歌声は人々の胸に深く沁み込んだ。NHKの紅白歌合戦にも7回か出演し大晦日の舞台を飾ったしー「知床の岬に はまなすの咲くころ(略)遥かに 国後の白夜はあける」も森繁の詞であり作曲なのである▼こんな森繁さんも若い頃は辛酸を舐めた。学生時代にも演劇に狂い劇団を渡り歩くが馬の脚などの端役ばかり。あの戦争が始まる直前にNHKのアナウンサーに合格し満州に赴任し活躍するが、戦後の引き上げ後も暮らしは苦しい。それが昭和29年に豊田四郎監督の「夫婦善哉」で淡島千景と出演して脚光を浴び、小林桂樹や三木のり平さんらとの「社長シリーズ」に繋がる。「屋根の上のヴァイオリン弾き」の主人公デヴイエと有吉佐和子の「恍惚」の老人役も忘れることはできない▼芝居や歌だけではなく射撃とヨットが趣味でかなり多彩な才能をもつ人であった。確か80歳を過ぎてからと思うが、文学座の杉村春子と芸談を語る対談をビデオで拝見したが、淡々としてはいてもかなり厳しい演技論をしていたように記憶している▼俳優らの慈善団体「あゆみの箱」のリーダーであり、伴淳三郎の肝いりで鶴田浩二や勝新太郎、阪東三津五郎さんらとサンパウロで公演し大変な人気だった。こうした大衆性が認められての文化勲章だったし、新聞各社は競って森繁久弥さんの死を伝える号外を出したそうである。96歳の大往生でありご冥福を祈りたい。 (遯)