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母県しゃんしゃん祭へ=鳥取県人会=訪日団11人で答礼=歓待うけて一行感激=DVD見て報告会

ニッケイ新聞 2009年11月18日付け

 ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は8月8、9日に母県で開催された「第45回鳥取しゃんしゃん祭」に参加するため、鳥取しゃんしゃん傘踊りグループ11人からなる訪日団(本橋幹久団長)を派遣した。移民100周年の08年には県人会創立55周年も重なり、平井伸治県知事や竹内功鳥取市長ら慶祝団50人が来伯。今回は45回目の同祭を記念し、鳥取市が同県人会を招待したもの。一行は8月3日から13日の日程で祭りに参加したほか、市長や市議会、県知事などを表敬訪問したり、日本舞踊や茶道などの充実した日程をこなした。
 鳥取市から訪問団一行が母県を訪問した時の様子や、踊りの場面が撮影されたDVDが同県人会に届いたため、お披露目も兼ねて10月16日、サンパウロ市内の同会館で報告会が行われた。
 報告会には訪日した一行を含む傘踊りグループ32人のほか、ブラジルの地に傘踊りを根付かせた西谷博さん(90)・千津子さん(84)夫妻も参加し、モニターに映し出される、母県で舞われた踊りの様子や、参加者たちの嬉しそうな感想に耳を傾けていた。
 最初に本橋会長は挨拶の中で、現在ブラジル内では日系社会以外でもいろいろな所で披露され、活発に活動している旨を説明し、「傘があっても指導する人がいないとできない。西谷夫妻のお陰です」と謝意を表し、「お陰様で昨年は皇太子さまや県知事、市長の前で披露できました」と述べた。続いて京野マリ良枝副団長から、傘踊りを通して日伯友好に尽力した西谷夫妻に日本移民百周年記念協会からの感謝状が手渡された。
 続いて本橋会長の解説のもとDVD上映に移った。一行はしゃんしゃん祭で3800人が踊った一斉踊りに「ブラジル連」として参加。通常、傘の上に紙で作った白い飾りをつけるが、訪日団は特別に黄と緑を付けてブラジルを表現、熱気あふれる踊りを披露した。
 さらに県と県人会が毎年交互に2人ずつ派遣する、中堅リーダー交流会の制度を利用して来伯経験のある若者も「ブラジル連」に参加、共に舞った。参加者の一人は「日本人の祭りの醍醐味を感じた」という。
 その他一行は、鳥取市にある仁風閣に市長、市議会長を表敬訪問し、大変な歓待を受けた。
 参加者の美甘好重さん(63、二世)は傘踊りを始めて3年、「西谷さんのお陰で日本まで行けて夢のようだった。大変な歓迎を受け感激した」と感想をのべ、「(しゃんしゃん祭で)3時間も踊れるかなと思ったが、踊りだしたら『もう終わったの?』と思うほど。良い思い出になった」と笑顔で応えた。
 また1977年に県費留学生として鳥取大学に在学した塩見輝子さん(65、二世)は「鳥取は広く綺麗になっていた。変わっていないのは県人の優しさ。留学もさせてもらい、再び訪れる事ができ嬉しい」と感想を述べた。
 じっと報告を聞いていた西谷さんは「みなさんが傘踊りで交流し、鳥取県を好きになってくれたのが一番嬉しい」と喜びの笑顔を見せた。
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 傘踊りはもともとは雨乞いの踊り。同県因幡地方の男性が踊り始めたのがきっかけで、この〝因幡の傘踊り〟を戦後、アレンジしたものが県内に普及した。
 ブラジルでは82年、鳥取県の農業研修生が来伯した時、初めてブラジルで傘踊りが舞われた。当時の県人会長、西谷さん夫妻が見よう見まねで傘を回し始めた。98年には日本移民90周年を記念して、母県から500本の傘が寄贈された。移民100周年では平井県知事や竹内功市長らも式典で踊りを披露した。現在では毎週金曜日に県人会館、他にサンミゲルやサントアンドレーなどでも練習をしている。