ニッケイ新聞 2009年11月19日付け
「移民の新聞は今も40紙あり、計50万部以上が発行されており、サンパウロ州の歴史の一部として非常に貴重な存在だ」。14日にサンパウロ州移民記念館で始まった「サンパウロ州における移民ジャーナリズム(A Imprensa Imigrante em Sao Paulo)」の開会式で、キュレーター(展示総責任者)のマルセロ・シントラさんはそう語り、今年2月から始めた調査内容を来年出版することを明言した。ドイツ系、イタリア系など各移民社会で刊行された母国語新聞の実物や年表、機材などが展示されている。
14日午後2時過ぎに始まった開会式で、不在のアナ・マリア・ダ・コスタ・レイトン館長の言葉が「私が就任した05年からの夢がこの企画だった」などと財務理事によって代読された。
友の会のフーベルツ・アルケーレス評議員長(インプレンサ・オフィシャル会長)からは「リトアニア系、ドイツ系、日系など移民たちは着伯してすぐ新聞を作った。イタリア系だけで1870年から今までに、500紙もの新聞があったという」とし、「リオは〃神の作品〃といわれるが、サンパウロ市のテラッソ・イタリアから見渡せば、ここは〃人間の作品〃だと分かる。中でも移民の仕事であることに特徴がある」とあいさつした。
テープカットが行われ開場となり、関係者約100人は展示を見ながら熱心に語り合っていた。
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現存するサンパウロ州最古の移民新聞は、1893年創刊のイタリア語新聞「Fanfulla」(本社=サンパウロ市モッカ区)。名誉会長デラロレさんに最盛期の発行部数を尋ねると「エスタードよりちょっと少ないくらいね」と応じ、「1900年頃のことだけど」と笑った。当時はサンパウロ市人口の過半数がイタリア移民だった時代で、1万5千部以上だったという。
戦前に同紙は本国のファシズムを支援し、42年にバルガス政権に廃刊させられたが、47年には再刊。最盛期は日刊だが、現在は週刊で2万部程度。イタリア系では最多部数を誇り、南部3州にも販売拠点がある。
現在もイタリア語新聞は3紙が競争し、うち1紙はイタリア本国からの進出新聞社だという。
長続きの秘訣を問うと、「コムニダーデへの献身、奉仕の気持ちが最大の理由よ」と一言。名誉会長自身が三世、同伴していた孫で同社の広告担当役員をするレオナルドさんはすでに五世の時代だ。
サンパウロ州最古のドイツ系新聞は1890年創刊の「Germania」紙。1923年に停刊させられ、「Deutsche-Zeitung」紙に引き継がれた。戦前にはナチス党支持の新聞が発行されるなど母国との政治的な緊密さが特徴だ。
戦後は1949年に創刊された「Brasil-Post」紙が現在も週刊で1万5千部発行され、本国にも送られているという。
ポルトガル系新聞も複数現存し、「移民新聞の総発行部数は50万部と推測」というので、実は、日刊紙で最大部数といわれるフォーリャ紙をもしのぐほどの影響力をもっているようだ。
「もともとは全て母語による新聞だったが、現在はバイリンガル(2言語)が主流」とシントラさんは分析する。母語頁数の割合は減る傾向にあるが、日本、ドイツ、リトアニアなどの比較的言語系統が遠い場合に残る傾向があるよう。
「移民社会における母語維持、文化継承に果たしている役割は大きい。各新聞に書かれている内容は貴重な歴史である」と推測する。現在大半は週刊で、日本などアジア系が日刊を維持している。
会場には移民新聞50紙に加え、昔のタイプレス、リノタイプの機械も展示された。シントラさんは「この分野の研究は今までほぼなかった。ブラジルジャーナリズム史の一部として非常に重要なものだ」と価値を強調した。
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州立メモリアル・デ・イミグランテ(移民記念館、Rua Visconde de Parnaiba, 1316、地下鉄ブレッセル駅近く。入場料4レアル。会館時間は午前10時から17時(月曜休館)。