ニッケイ新聞 2009年11月25日付け
「黒人の日」の20日午前、サンパウロ市のセー大聖堂にアフリカを想う歌声が響いた。ミナス州のキロンボ・カシンブーからきたアルカンタラ聖歌隊は、かろやかに体を揺らし踊るように歌う。黒光りする顔がずらり40人ほど正面階段に並ぶと壮観だ▼黒檀のような見事な肌の指揮者男性が「遙か昔に海を渡った祖先に捧げる」と語ると、腹の底から出たような太い声で独唱を始め、聖歌隊がゆっくり和音を唱和すると、荘厳な響きが大聖堂中にこだました。途中で早い曲調に変わるとジャズ風ピアノやアフリカ伝来のサンバ風打楽器が伴奏に加わり、北米のゴスペルとも違う、アフリカでもない、黒人逃亡奴隷の隠れ里を起源とするコムニダーデならではの〃ブラジル音楽〃になった。楽しそうに歌う、自らの文化に誇りを持った表情がまぶしかった▼キロンボという存在が一般に知られるようになったのは戦後のことだと、先日の文化省主催の文化多様性セミナーで聞いたのを思い出した。ミナス州のキロンボ・アウトゥーロスの代表者は、彼が子供だった60年代頃は被差別部落のようにひっそりと暮らし、近くのファゼンダで日雇い仕事をもらって生計を立てていたと説明した▼年に2回あるコンガーダ(太鼓儀礼)の日は「仕事を休みに」と農場主にお願いしても認めてもらえなかった。でも、大学教授がきて部落の歴史を調査出版し、それが注目されてドキュメンタリー映画になってから、ようやく農場主も認めるようになったという▼合唱を聞き、少し厳粛な気持ちになって大聖堂を出ると、道端には、その肌を持つ路上生活者が死んだように寝ていた。 (深)