ニッケイ新聞 2009年12月10日付け
アマゾン入植80周年の一環としてトメアスー総合農業協同組合(坂口渡フランシスコ理事長)は、同組合が公認登録されてから六十周年を迎えたことを記念した『同組合創立六十年史』を、9月に日本語版とポ語版を各々発刊した。なんども解散の危機を迎えながらも、その都度、若者中心に立て直してきた苦難の同地移住史が克明に記されている。
この組合は、アマゾン初入植の1929年からわずか2年後、31年に結成されたアカラ野菜組合を前身とする、現存する最古の日系農協の一つだ。事業が軌道に乗って拡張され、35年にはアカラ産業組合に改組されたが、第2次大戦中の42年にはCETAという州管理局の統制下に置かれ、販売・購買の全てを抑えられ、苦汁を飲まされた経験を持つ。
戦前の同組合が、ブラジルの産業組合法に則った団体でなかったために正当な法的保護が受けられなかったとの反省にたって、戦後、正規の登録をする機運が生まれ、49年9月30日にトメアスー混合産業組合と解消し、公認団体として登録された。
その直後から空前の胡椒景気を迎え、戦後移民の受け入れ、第2トメアスー造成などに中心的な役割を果たしてきた。80年代から日本政府の助成を受けてジュース工場を建設するなど、営農の多角化をはかり、現在につながるアグロフォレストリー(森林農法)を開発、発展させてきた。
なかでも、97年からの理事会は伊藤ジョージ理事長以下、二世中心の新体制となり、新工場や保冷庫の建設など現在につながる基礎を作った。07年の冷凍果肉の販売量は約3500トン、売上高は約9億2千万円、うち4割を米国、日本に輸出するまでになった。
編纂に関わったのは同組合OB会で、編集委員長は菊池健治氏、渉外担当は北島義弘氏、監修が福島栄氏と吉丸禎保氏、編集担当が下小薗昭仁氏と角田修司氏。
日本語版は全82頁。日本語で執筆した原稿をポ語に翻訳し、現地関係者を中心に配布された。貴重な写真資料も多数掲載されている。
45頁から「余白」とされる裏話も記載されており、特に第2回移民の沢田哲さんの談話では、それまで暗黒の日々として記録されていた戦時中の強制収容の時代は意外にも「天国だった」との証言も掲載されるなど、緻密な調査が行われた。
角田氏は「先に出版された『トメアスー開拓70周年記念誌』と一組で、移住地80年間の歴史が網羅されることになります」と説明する。
吉丸氏は「二世中心で若返った現理事会の方から、自分たちが組合の歴史を詳しく知りたいから、ぜひ編纂してくれと言ってきた。日本語でも残してくれと言われ、感動した」という。
執筆の中心を担った下小薗氏は「組合に保存されている議事録をすべてひっくり返して調べた。喧々囂々(けんけんごうごう)のやりとりが子細に記録され、読んでいて興奮した。至福の時間でした」と振り返った。