ニッケイ新聞 2009年12月19日付け
バタテイロ最後の砦、今も――。1994年のコチア産業組合中央会の解散後、残った約30人の組合員やコチア青年らで組織した聖南西タツイ市のタツイ地方農業共同組合(CART=堀口悟会長)。創立15年目の今年9月、それまでは賃貸していた元コチア産組タツイ倉庫の建物を買い戻した。今月5日、組合員の家族や取引相手を招いて同地で忘年会を開催し、さらなる発展を約束するかのような盛り上がりを見せた。
コチア青年の大半が着伯当初はバタテイロ(ジャガイモ生産者)の下に配耕されたものの、そのまま続ける青年はあまり残らず、〃バタテイロ最期の砦〃としてコチア青年移住40周年誌で紹介されているタツイ。名前や組織こそ変わったものの、最期の砦は陥落していなかった。
CARTは現在、バタタのみを扱う非日系組織だが、組合員約25人のうち7割が日本人・日系人。初代会長を4年務めたコチア青年の井上茂則さんによれば、サンパウロのセアザだけでなく、ミナス州、ゴイアス州、ペルナンブコ州レシーフェ市などに年間200万俵を出荷する。
「組合が潰れたあの頃は金が無かったから買えなかったんだよね」と回顧する堀口会長(61、鹿児島)。今まで家賃を払いつづけていたが、今年9月に競売にかけられたのを知り、会議で入札することに意見が一致、86万レアルで買い戻した。
事務所、倉庫、野球場二つ、ゲートボール場がある広々とした4ヘクタールの土地。組合員はほぼタツイ文協の会員であるため、年に一度の文協運動会やゲートボールの練習にはこの場所が利用されているという。
堀口会長は、「コチア時代からの資産を他の人にやるわけにはいかなかった」と話し、晴れ晴れとした顔を見せる。
12歳で家族移民、父の故政次さんは同地の評議員や理事長を務めていたという堀口会長。
10年前からゴイアス州を営農拠点とし、弟の政行さんと共同で2600ヘクタール以上の土地でバタタ、大豆、とうもろこしなど多角農業を営む。
70年代に、新地が多く霜もないためにバタタが盛んだったタツイも、土地が古くなり、80年代からサトウキビ畑が増えていったからだ。CART組合員もほぼ全員が同市の外で営農し、直接地方に輸送している。
5日、井上会長時代から続くという恒例の忘年会には、取引相手が全伯に散らばっているため、遠くはナタールなどから450人が集まった。牛1頭を丸ごと焼いたシュラスコ、日本食などが供され、大賑わいだった。
井上初代会長は、「組合を次の子供たちの世代に繋ぐのが課題。魅力的なものだったら続くと思うけど、バタタは浮き沈みがあるからね」と笑って話していた。