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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【サンタレン編】=第1回=壮絶な幼少期の体験=元ベルテーラ移民=岡田ハマ子さん=80年祭典委員長=生田勇治の姉

ニッケイ新聞 2009年12月19日付け

 アマゾン中流の町、サンタレン。日系移住地の建設は行われなかったが、モンテアレグレ、アレンケールなどの移住地への拠点となり、市の南方にあるベルテーラやフォードランジャの元入植者やその子弟らが現在も住む。今年の日本人アマゾン移住80周年記念連載企画『アマゾンを拓く』最後の地、サンタレンの日本人に会った。

 パリンチンスから、船のハンモックに揺られて約36時間。取材に訪れた5月、100年来といわれる大水はサンタレンを襲い、市街地は冠水していた。
 港に船をつけることができないため、乗客らは荷物を担ぎ、横付けされた船を越え、15メートルはあるタラップで恐る恐る港に上がっていく。
 早速タクシーを捕まえるが、川岸沿いの大通りが冠水しているため走れない。大きく迂回して、何とか宿に旅装を解いた。
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 「弟には、『頑張ってやんなさい』って言ったのよ」
 べらんめえ口調でハキハキと話すのは、岡田(旧姓横山)ハマ子さん(75、山形)。父親違いの弟は、アマゾン日本移民80周年祭典の実行委員長を務め、見事成功に導いた生田勇治さん(62、同)。
 生田さんが実行委員長に推されたとき、相談を受けたハマ子さんはそう背中を押したという。
 長女の瑠美さん夫妻が経営する「レストラン瑠美」を訪ねたのは5月10日、母の日のフェスタで店内は賑わっていた。
 勧められるままに冷たい飲物を飲みつつ、移住の経緯を聞き始めたのだが、いきなりの壮絶な展開にメモを取る手が思わず止まった。
 ハマ子さんが3歳の時、理髪店を営んでいた父、横山栄輔さんが心臓麻痺で亡くなる。27歳の若さだった。3日後の12月15日。葬式の日、将来を悲観した当時25歳の母まささんは、3歳のハマ子さんと1歳だった弟を道連れに親子心中を図る。
 ハマ子さんの泣き叫ぶ声。集まっていた親族が二階に上がると、一面が血の海だったという。
 「だから、父と1歳の弟の葬式を一緒にやったんですよ」と話すハマ子さんの首には大きな傷跡が残っている。
 家族は、東京麻布の親戚の家に身を寄せる。四〇年、まささんは、従兄弟の生田勇さんと再婚、4人の子供に恵まれる。長男が生田勇治さんだ。
 戦後、勇さんは化学肥料の仕事をしていたが、海外への憧れも強く、県庁でみた移住募集でアマゾンへ行くことを決めた。
 19歳になっていたハマ子さんは、大学への進学も決まっていたが、家族と共に移住を決意。横山家からは猛反対を受けたが、「4年で帰ってくるから」と押し切った。
 両親と、栄(15)、瑞枝(13)、勇治(7)、正司(6)、才子(4)の一家7人が、1954年、神戸からぶらじる丸に乗り込んだ。
 ベレンで「バロン・デ・タパジョス号」に乗り換え、目的地に到着したのは1月21日だった。第2回ベルテーラ移民だった。(つづく、堀江剛史記者)

写真=元ベルテーラ移民の岡田(旧姓横山)ハマ子さん