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日系ラグビー=全伯大会で「Nippon」が奮闘=昨年、創立50年迎える

ニッケイ新聞 2010年1月7日付け

 昨年、結成50周年を迎えた日系ラグビーチーム「Nippon」が12月12、13の両日、サントアマーロ市のサンパウロ・アトレチック・クラブのラグビー場で行われた「第17回サンパウロライオンズカップ」(SPAC・サンパウロアスレチッククラブ主催)に出場した。
 大会はジュニア、成年、女性、ベテランなどの部門があり、48チームが参加。同チームは35歳以上のベテラン部門に出場し、6チームで争われ善戦したが、残念ながら3試合を戦い3敗。
 ベテランの部とだけあって、和気藹々とした雰囲気で進められた。姫路工業高校(兵庫県)でラグビーを始め、59年に渡伯した西谷研三さん(72、兵庫)は「みんなオールド・ボーイで、フェスタみたいなものでしたよ」と感想を語る。
 ブラジルにおける日本人のラグビーは、学生時代、腕をならした移住者や駐在員が中心となって1959年7月に始まった。当時は唯一の対戦相手だったイギリスチームとピリツーバのグラウンドで毎週土曜日、練習に励んだ。
 日系チームのメンバーは入れ替わりが激しかったが、元気そうな若者を誘いながら続け、1972年にミュンヘン五輪で銅メダルを獲得した柔道家の石井千秋さんや、料理家のジュン・サカモトさんなども元メンバー。
 次第に盛り上がり人数も増え、リオやウジミナスにもチームができ、知り合いの子供を誘いジュニアチームを育てた。「ラグビーは怪我をしますよ」と言っても、当時の親は「怪我をするくらいが良い」と勢いもあったという。
 昔は石ころだらけのグランドで傷だらけになり、泣きながらも「突っ込めー」と子供達も頑張っていたというが、進学や就職でメンバーの減少が進んだ。
 現在、「Nippon」チームは20人ほどで構成され、常時10人位が中心メンバー。30歳代が多く、フランスやイギリスチームと練習試合などをしている。
 西谷さんは「日・英・仏・ポ語が飛び交って、喧嘩もするが試合が終わればノーサイド。シュラスコをして親睦を深めていますよ」と嬉しそうに語る。
 西谷さんによると、現在、全伯ラグビー協会に所属しているチームは約120チームあり、ラグビー人口は約4~5千人であるという。2016年、リオ五輪から7人制ラグビーが正式種目となることが決まっている。