ニッケイ新聞 2010年1月14日付け
朝日新聞のコラム『天声人語』の記述に、「古い時代の中国では、本を読むのに適した「三余」という余暇があり、雨の日と夜、そして冬のことを言った」とあった。なるほど、夏真っ盛りで寝苦しく、雨といっても洪水になる今のサンパウロは、読書に全く不適切だ▼出版指数年表(日本著書販促センターサイト)によれば、1958年の書籍出版数は1万を超える程度だったが、ここ数年は約7万冊。毎月6千以上の新刊本が世に出ているわけで、読みたい本は尽きない。国外にいる悲しさで取り寄せても時間も値段もかかることから、自然、古本市が賑わうのも分かる▼司馬遼太郎はエッセイの中で、地方の古本屋巡りが楽しみだったが、「昭和四十年代ぐらいからは、地方に行っても雑本ばかりで(中略)すわりこみたい思いだった」と書く。その理由の一つに良本が地方から、神田・神保町に送られることを挙げ、古本流通の一極化にも触れる▼コロニアの古本市は、日本では売り場に出ないような様々な本が集う。韋編三絶(何度も繰り返し読むこと)といった代物のほか、線が引いてあるものや、個人印、日系団体・寄贈主の落款から、その本の歴史を紐解くのも楽しい。茶の湯でいえば、茶碗をためつすがめつ眺めるようなものだろうか▼ある時、購入したものに「ミノベ」氏のサインが多いことに気付いた。試みに調べてみると、20冊近くがそうだ。同好として親近感を持ったが、日付は30年ほど前だから、すでに故人だろう。氏の書斎には他にどんな本があったろうか。そんなことをつらつら考えるのも「三余」の合間の「余戯」となっている。 (剛)