ニッケイ新聞 2010年1月15日付け
【既報関連】12日のハイチ地震で、人道支援団体パストラル・ダ・クリアンサ創立のジウダ・アルンス・ネウマン医師(75)が死亡した。14日付伯字紙によると、ポルトープランスの教会での団体奉仕者や宗教関係者との集会直後に被災したものだ。
ジウダ医師はサンタカタリーナ州フォルキリーニャ生まれ。1959年に医学部卒業後、小児科と公衆衛生の専門家として、活躍していた。
ところが1982年、当時ユニセフ局長だったジェームス・グラント氏が、兄のパウロ・エヴァリスト・アルンス大司教(現サンパウロ枢機卿)に、栄養失調撲滅キャンペーン実施を呼びかけた事が、ジウダ氏の生涯を変えた。
そのキャンペーンのための適任者が居ると答えた大司教は、早速妹に電話。パラナ州保健局ディレクターとしてクリチバ市で働いていたジウダ氏は、同夜、息子達に「ブラジルと世界の何百万人もの子供の命を救うプロジェクトのための準備をする」と告げたという。
初期対象は、人口1万4700人で労働者の73%が農業日雇い、乳児死亡率全国一のパラナ州フロレストポリスと決め、1983年3月に家庭訪問開始。6歳以下の子供と妊婦対象の啓蒙・支援活動が始まった。
最初は、公衆衛生や栄養知識についての資料を作って20人を教育。賛同者は日増しに増え、20人が76人、76人が更に別の人を指導する形で奉仕者が続出した。
カトリック教会の協力も得た活動は目覚しい成果を挙げ、サンパウロ市などに拡大。現在は全国4063市で190万人の妊婦や子供を扱い、1千人当たり127だった乳児死亡率も11に低下した。
家庭訪問による啓蒙と栄養失調治療などの活動は、2004年には高齢者向け組織結成に至り、本来の活動も、2008年に国際化。多くの命を救う活動は、世界20カ国に広がっている。
駐在大使夫人が安らかな死に顔だったという遺体は、上院議員の甥が現地に赴き、ブラジル送還手続き中。葬儀は遺体到着後にクリチバで行われるが、サンパウロ市セー大聖堂では13日夜、同氏追悼と被災者遺族への慰めを求めるミサも行われた。