ニッケイ新聞 2010年1月16日付け
百周年で播かれた種が2年遅れで結実する。大変な盛り上がりをみせた08年の日本移民百周年、サンパウロ市が百周年事業として複合施設「日伯スポーツ文化センター」を建設する構想を発表し、日系スポーツ界から歓迎された。この工事は順調に進み、いよいよ最終段階に近づいている。この構想は、ボン・レチーロ地区のミエ・ニシ野球場の改装・増設を中心に、複合日系スポーツセンターにするもので、隣接するソフトボール場も改装され、土俵も相撲センター(仮称)となって新たに生まれ変わる。敷地内にはゲートボール場やアスレチックなども新たに作られ、完成も間近となってきた。市財政も大変な折りにも関わらず、日系社会への大きなプレゼントとなった。
現在、サンパウロ市が同地に建築中の相撲センターは3月末の完成を目標。取材時の12日には、土俵を取り囲むように四方に伸びた観客席が完成している。その他、ドーム状の屋根と土俵、事務所や売店の入るスペース、トイレなども進められている。完成すれば約1千人の観客を収容できる。
野球場拡張工事のために07年から2年間、土俵はいったんは立ち退かねばならなかった。その間、サンパウロ市周辺の選手はサントアマーロやオザスコ、サンベルナルド・ド・カンポまで練習にいく必要があった。
全伯相撲連盟の篭原功会長は「市が土俵を作るとは、外国ではブラジルが初めてでは。ワルテル・フェルドマンサンパウロ市スポーツ局長に会う度に作ってくれと言い続けてきたが、とうとう作ってくれた」と嬉しそう。
大瀧多喜夫同連盟理事(70)は「7月の全伯大会はここで開催できるだろう。楽しみだ」と意気込む。
一方、58年に三笠宮御夫妻と早稲田大学野球部を招いて開会式を開き、築50年の08年3月に改修工事が始まったミエ・ニシ野球場(三重西)は、電気や屋根、下水道などの工事がほぼ終わり、あとはイナウグラソンを待つだけだ。
同文化センターの入り口をくぐると日本を象徴とした赤い太鼓橋がかかり、正面に野球場がそびえる。通路には屋根が設置され、事務所は24時間の完全警備だ。
球場内に目を移せば、両翼105メートルの外野席には高さ18メートルのフェンスが張られ、選手の控え室やシャワールームの改装もし、見違えるようになった。スタンド席まで上がるエレベーターも設置し、誰もが気持ちよく楽しめる野球場になった。
パウリスタ野球連盟の沢里オリビオ会長によれば、「日本移民と言えば野球というほど盛んなもの。教育の面からも良いものだし、人格形成にも役立つ」と語り、「こういう複合的な施設はあまりないよ」とうれしさを隠しきれない様子。
同球場や同センターなどの電気や水道代、警備代などの維持費は全て同市が負担しており、日系人が活躍する同分野では嬉しい協力。
今回の予算について沢里会長に尋ねたところ、「いくつものスポーツ施設が入り、エスコーラ・デ・サンバの施設も移転してもらったので、全体でいくら掛かっているのか正直分からない」というが、相当の金額であることは間違いない。
イナウグラソンに関して、フェルドマン局長が10月の連邦議員選挙に2回目の当選を目指して立候補する動きもあり、政治的な背景が絡んでいることから、いまだ決まっていない。さらに、相撲センターや野球場など、別々にイナウグラソンを実施するか、一緒にするかも未定。