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サンパウロ市は開拓者の町=初期移民の汗と涙が根底に

ニッケイ新聞 2010年1月23日付け

 サンパウロ市にピラチニンガ村の定礎式が行われたのは、456年前の1554年1月25日と22日付けジアリオ・ド・コメルシオ紙が報じた。最初に定住したのは、ポルトガル人。続いてレバノンやシリアのアラブ人、ユダヤ人。アフリカ人は16世紀に、奴隷として連れて来られた。
 ビスコンデ・デ・パルナイバ街の移民記念館の記録によれば、1827年にドイツ人移民226人が到着。サントアマーロやイタペセリカ・ダ・セーラに、コロノ(期間契約労働者)として配耕。しかし、ドイツ文化が根付いたのは1880年、有識者移民が始まってからであった。
 1887年にイタリア移民が多数到着。専ら工場労働者としてブラスやモッカ、ベレン、カニンデー、パリーに居住。その後、ベシーガやヴィラ・カロン、サンターナへ分散して行った。
 1900年中国人移民到着の記録があるが、その後の消息は不明。中国人の大挙移住は1950年、70%は台湾出身者であった。1908年日本人移民、1930年スペイン人移民、1960年韓国人移民の順。