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「コパで君が代歌いたい」=日系人初のW杯代表へ=田中マルクス闘莉王=広島出身祖父の墓前で飛躍誓う

ニッケイ新聞 2010年1月23日付け

 信じて頑張れば、夢は叶う――。16歳で渡日し、帰化後は日本代表にまで上り詰めた日系三世の田中マルクス闘莉王(名古屋グランパス)が21日、帰国直前のグアルーリョス空港でニッケイ新聞の取材に応じた。今年6月に開幕するW杯南アフリカ大会では、日本代表の守りの軸として出場することが濃厚な闘莉王は、日系人として「コパ(W杯)」の大舞台を踏むことになりそうだ。(社友・下薗昌記)

 サンパウロ州パルメイラ・ドオエステ市生まれの闘莉王は、16歳で千葉県の渋谷幕張高校にサッカー留学した。当時理解したのは「ジッチャン、バッチャン」の日本語だけ。異文化との格闘の中、2006年にはJリーグでMVPを獲得するなど日本を代表するサッカー選手に成長した。 「日本でも通用する自信はあったけど、不安な気持ちも多かった。あの時はこんなに有名になれると思っていなかったけど、自分を信じて、神様を信じてここまで頑張ってきた。夢を叶えられて良かったね」
 昨年4月に91歳で亡くなった祖父義行さんが、広島県出身だったことから、プロ入りの際にはサンフレッチェ広島を選んだほど、自らのルーツを重んじる闘莉王。昨年12月中旬から母国で休暇を過ごしていた際には、義行さんの墓前でさらなる飛躍を誓ってきた。
 「非常にショックだった。だからこそ、お祖父ちゃんがいなくなった代わりに僕がお祖母ちゃんを日本に連れていかないといけないと思って、去年の11月に日本に連れて行った。お祖父ちゃんは(空の)上から僕を見守ってくれると思っている」
 過去三度のW杯で、ブラジルからの帰化選手としては呂比須ワグナーと三都主アレサンドロが日本代表で出場している。一方で日系人としては故ネルソン吉村とジョージ与那城はアジア予選で涙を飲んできた。5月に発表されるW杯日本代表では、日系人として初めて闘莉王の名が含まれるのはほぼ間違いない。
 「日系人として初めてコパに出ることが実現すればすごく嬉しい。僕には日本人のルーツがあるから、その国を代表できるのは誇りでもある。コパだからと言って日系ということを意識しすぎるのではなく、今まで積み上げてきたことをこれからも続けるだけ。でも、コパで君が代を歌えれば、今まで以上に僕の心を感動させてくれるはず」
 2004年から6年在籍した浦和レッズを退団し、今年からは新天地として名古屋グランパスを求めた。里帰りの間にも、自主トレに励み、25日に鹿児島県指宿市で始まる日本代表合宿への備えを忘れていない。
 「今まで通り一生懸命やることでお世話になった人への感謝を示したい。それに名古屋はデカセギの人も多いのを知っている。僕が活躍することで、日系の人たちに頑張れば夢が叶うことをプレーで見せたい」
 4大会連続の出場となる日本代表だが、地元開催以外のW杯では5敗1分けとまだ1勝も挙げていない。南アフリカではカメルーン、オランダ、デンマークという強豪と同組の日本が躍進するのは日系三世の活躍次第と言っても過言ではない。
 「守備が大事になるのは分かっている。だからこそ、僕が今までの経験をW杯で生かしたい。そしてブラジルと日本にいる日系の方にも何かが伝わるようなプレーを見せるので応援してほしい」