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移民の父=水野龍の足跡を訪ねて=バイクで4カ国7千5百キロ=孫の龍三郎氏とも面会=本紙刊行本がきっかけ

ニッケイ新聞 2010年2月11日付け

 ブラジル移住への道を拓き、〃ブラジル移民の父〃と呼ばれる水野龍(りょう、高知、1859~1951)が辿った道のりをオートバイで旅した準二世がいる。航空会社GOLの国際線パイロットの中村修一ミウトンさん(57、北海道)だ。15日間の旅の走行距離は4カ国7500キロにも及び、アンデス山脈を越えた。最後は水野の息子龍三郎氏に会いに、パラナ州クリチバへも足を伸ばした。

 「今まで日系社会とはあまり縁がなかった」が、友人から「ブラジル移民の創始者・水野龍」(ニッケイ新聞社刊)を贈られたことがきっかけとなった。
 1906年、水野が馬に乗りアンデス山脈を越えたエピソードに激しく感動を覚え、アンデス越えの計画を思いついた。
 旅のメンバーは6人。所属するサンパウロ市のツーリングクラブ「BUENA VISTA MOTO CLUBE」の仲間だ。
 サンパウロを1月4日に出発し、往路はパラナ州ロンドリーナを経て、イグアスーからアルゼンチンに入国。
 水野が辿ったメンドーサからチリの首都サンチアゴへはアンデス山脈を越えた。
 復路はメンドーサ、ロザーリオを訪ね、ブラジルへ入国、水野の子孫が住むパラナ州クリチバへ向かった。
 出迎えたのは水野の三男龍三郎さん(78、二世)と妻レジーナさん(36)。龍三郎さんとは水野についての話が尽きなかったという。
 「『金儲けのためにやっていると思われ、移民の考え方の相違から、日本では悪者扱いされた』と父から聞かされてきたが、移民百周年で父の功績が認められた。高知県を訪れることもでき、父は偉大な事をしたと分かった」と龍三郎さんは話したという。
 1日で650キロ走ることもあったが、事故もなくサンパウロ市に19日に到着、旅を終えた。
 中村さんは、「日系のルーツを感じる意義のある旅となった」と笑顔で微笑んだ。