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二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第7回=三つの二世像(2)

ニッケイ新聞 2010年2月23日付け

 ポルトガル語は、グルーポでならっただけで、町へ出て困ることはないが、ポルトガル語の新聞も本も、ほとんどよまない。中には、一世とあまりかわらないくらいニッポン的なのがたくさんいる。このタイプの中には、一世たちとは同じにつきあえるが、ブラジル人の中に出るとコトバの不自由なことや、ブラジル的な習慣になれていないために劣等感をいだくものが多い。市役所などへ行って、当然いっていいことさえも、ものおじしていえず、小さくなってしまうのがその一例である。
 Cはこの反対に、ポルトガル語はベラベラやる、一見他のブラジルの青年と少しもちがわない。ブラジル青年のいい所も、わるい所もチャンと身につけている。ニッポン語は「オジサン」「オバサン」くらいのから、聞くのはどうやら分るが、しゃべれないし、ぜんぜん忘れてしまっているのもある。
 このタイプのものは、一世の気もちや考えが分らないから、コロニア文化、ひいてはニッポンそのものの文化に対してあまり好感をもっていない。ニッポン語が話せないという劣等感は、かれらの場合は、「自分はブラジル人だ。ブラジル人がニッポン語を知らなくても恥でない」という、裏返しのものになって、卑屈になったり、ちぢこまったりせずに、尊大になって、いばった態度をとるようになる。だから、一世との間は、うまくいかないことがしばしばである。
 このABC三種のタイプの人間像とても、それぞれに、色合は、こいのや、うすいのがあったり、合の子の割合も、BにしろCにしろ、ニッポン文化とブラジル文化のまざり方のパーセンテージは、もちろん一様ではない。この研究は、まことに大ざっばで、ABCそれぞれに属するものの割合が全体のどれくらいになるかも、まるでわかっていない。しかし、だいたい、この三つのタイプの二世は各地で見られる。
 こうしてみると、理想的な二世はどのタイプかということは明らかである。すなわち、ブラジルの社会にとっても、コロニアにとっても、どちらにも有益な存在であるのはAである。
 わたしの考えでは、一世は、ニッポンでつくりあげた人間像の所有者で、ブラジルで活動するためには、Bのタイプの二世と同じように、大いに欠点のある形で、ブラジル人と対等にやっていけない。コロニアを相手の商売や土を相手の農業ならポルトガル語でしゃべらなくてもいいし、文化のちがいからくる劣等感を感じないですむから、大いにウデをふるうことができるが、ブラジル人の社会を相手にする仕事ではなかなか思うようにいかない。
 コロニアが戦後、経済的に飛躍的な発展をしたことは事実であるが、これは一世だけの力でやりとげたと思うのは大きなうぬぼれである。そのかげに社会的に活躍できるようになったA形の二世が大きな力をもって協力してくれたことを見のがしてはいけない。
 多くの二世は、よりよきブラジル人なるということを、標望している。ではどういうのが、よりよきブラジル人であるかときくと、具体的につかまれていないのが多い。中には第三のC形をさしていいブラジル人だというのがかなりある。(つづく)