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神戸の〝落書き〟はこの人が=49年間〝行方不明〟=コチア青年の佐藤修司さん

ニッケイ新聞 2010年2月24日付け

 移住から49年間、〃行方不明〃だったコチア青年がいる。佐藤修司さん、70歳。「僕は不良青年で」と柔和な顔で話す佐藤さんは、実は旧神戸移住センターに残された「落書き」の張本人でもある。
 「優秀青年成 三重県 飯田 佐藤 西島 上三名 四月二日午後四時あるぜんちな丸にて渡航ス」
 この文章は、多くの移住者が日本最後の日々を過ごした旧神戸移住センターの壁に残されていたもの。昨年6月に移住資料館・文化交流センターとして再オープンした同建物の改修工事の際に見つかり、保存された。
 移民百周年の2008年にNHKがこの文章を書いた人物を探したことから所在が判明。佐藤さんは招待を受けて神戸を再訪したが、「覚えていないんですよね」と笑う。
 佐藤さんら3人は、61年4月にあるぜんちな丸で渡伯したコチア青年2次12回の一員。佐藤さんはカストロで3年間バタタ(じゃがいも)栽培に従事したが、同地を出てサンパウロへ。日系企業で働いていた時に、人生の転機が訪れた。
 「当時のガルボン・ブエノは僕みたいな、愚連隊みたいなのがいてね」。柔道黒帯の佐藤さん。ガ・ブエノの寿司屋で3人と喧嘩になった際、隣に座っていた原田氏が、ミナスにある三菱重工工場CBCの工場長だったという。
 「必要だったら探しに来い」、原田氏の言葉を信じてミナス州バルジーニャへ。コチア青年の間では〃行方不明〃だった。
 きっかけは、現在コチア青年連絡協議会副会長を務める杓田美代子さん。杓田さんが同郷の三重県人会評議員だった関係で知り合い、そこから青年だと分り、今年の協議会総会に初参加した。9月の55周年式典にも出席する意向だ。
 CBCで22年間働いた佐藤さんは現在、同地でバタタ・フリッタの工場「FRITAS NIPPON」を経営する。「製品は好評なんですよ」と笑顔で話す。約20年になるそうだ。
 バタタからブラジル生活をはじめた佐藤さん。巡りめぐって今もバタタに関わっている。「不思議な縁ですね」、そう話し、ミナスへの帰途についた。