ニッケイ新聞 2010年3月2日付け
親が、その文化を子どもにつたえようとする気持は、人間の本能であるといっていい。これは、けっして禁止令などで、おさえられるような単純な気持ではない。コロニアの一部では、外国語教育令を守って、ニッポン語教授をやめているものもあるが、これとて、非常な不満を感じながらやむをえないという悲しいあきらめから、なげすてているのにすぎないのである。
だから、子どもへのニッポン語教育をなげすてられないものは、どんなにきびしく禁じられても、できるかぎりの方法と手段で、ますます、かくれてやるだろう。
このような、強情な抵抗は、民族文化を守ろうとする本能的な意識から出るものではあるが、もう一つは、大部分が農業者であるニッポン移民の家庭では、子どもが14歳になってからニッポン語を教えるということは、事実上、ほとんど不可能なことなのである。
なぜなら、14歳にもなった子どもは、畑でりっぱに利用される労働力をもっているのだから、学校へ通わすために、その子どもが、毎日、何時間か畑とはなれることは、経済上の大きな問題となるのである。また、子どもを中学校へ通わせうるような金持の農家あるいは都市の家庭でも中学校にはいってからでは、学校の勉強にいそがしくて、ニッポン語学校などへ通うために時間をさくことは思うようにできず、子どものニッポン語に対する関心がうすらいでくる。
それで、農村でも都会でも子どもがグルーポ在学中に、ニッポン語を教えるのが、子どもにとっても、両親にとっても、もっとも都合がいいのに、いちばん都合がいい時代のニッポン語教育が禁止されていることが、この法令が守られない一つの理由である。
二世、すなわち、外国移民の子どもは、ポルトガル語がヘタだから、グルーポ時代に、外国語(父母の国のコトバ)の教育をさせると、ポルトガル語習得上大きなジャマになると思われているが、グルーポ時代の勉強は、子どもにとって、それほど負担になるものではなく、1日に、1時間くらいニッポン語を教えたからといって、それでグルーボの勉強にさしさわりがおきるようなことはないのである。
ただ、ニッポン語学校での授業時間が長すぎると、それがジャマをすることはありうる。また、ブラジル人との接触が、ほとんどないようなニッポン人だけの大集団社会に生活しているものは、たとえニッポン語学校へ通学しないにしても、ポルトガル語をグルーポだけで習うのだったら、他のブラジル人の子どものように上達しない。それゆえ、グルーポ時代にニッポン語とポルトガル語の二つのコトバを習うということが、ポルトガル語の習得をジャマするという理由にはならない。