ニッケイ新聞 2010年3月3日付け
ルーラ大統領は1日、外国の元首で一番乗りを果たし、巨大地震の被災地チリのバチェレ大統領を訪ねたと2日付けフォーリャ紙が報じた。両首脳はサンチアゴ空軍基地で会見、医療支援と被災地の復興協力をルーラ大統領が約した。津波による被災地の救援に、ブラジル海軍の野戦病院部隊が5日、現地へ到着する。即応態勢が整っている在チリ伯大使館には、矢継ぎ早の緊急救助要請が入った。ブラジル外務省は、災害専門家350人をチリへ派遣した。
チリの病院7施設が崩壊したため、在伯チリ大使は、ブラジル政府に仮設病院や発電機、医療用水の発送、それらの専門家、技術者、病院など崩壊建造物の取り扱い業者などの派遣を要請。緊急に必要なのは、飲み水や食べ物、救援金ではなく、災害に即時対応ができる専門家だという。
津波や地震の経験がないブラジルは、自然災害時のロジスチックにまだ不案内のようだ。陸路が分断された被災地への救援物資の輸送法、津波に対する訓練やひとなめにされた後の対処法など未知の部分が多い。
ルーラ大統領は、ウルグアイのムヒカ大統領就任式への参席を早めに切り上げ、チリの救援対策を話し合うことにした。チリ政府から経済援助の要請があれば、やぶさかではないという。
在チリ伯大使館は、震源地近くのコンセプシオンに、ブラジル人3人が住んでいた可能性があり消息は不明という。ブラジリアの関係当局には、チリ滞在親族の消息問い合わせが殺到した。
外務省の発表では、チリ在住のブラジル人は1万2千人。現地大使館に在留届を出さず、消息不明は800人という。現地の電信電話網は、完全休止。個人のラジオ通信だけが頼りだ。
巨大地震の起きたとき、チリを旅行中であったブラジル人作家リジア・ボジュンガ氏は「ついに自分の召される日がやってきて、永遠の世界へ旅発つのか」と思ったことを供述した。
同氏はホテルで就寝中「朝未明ベッドが大揺れに揺れ、何事かと思っていたら、家具や調度品が頭の上に倒れかかり、ようやく地震と気がついた」と。生まれて初めての経験で、精神に混乱を来たさなかったといえばウソになるという。