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二世とニッポン語問題=コロニアの良識にうったえる=アンドウ・ゼンパチ=第13回=コロニア日語教育の現状

ニッケイ新聞 2010年3月4日付け

 われわれが、ニッポン語教育会議というものをつくったことに対して、コロニアの一部から、いろいろな批判をうけたが、それらは日語教育会議設立の趣旨が、じゅうぶんに理解されていないための誤解によるものであることをイカンに思っている。
 そこで、ニッポン語教育会議の目的について、誤解されている点や理解が不充分な点を明らかにして、改めて、コロニアのこの運動への協力をお願いしたいと思う。
 それには、まず、コロニアの日語教育の現状を説明する必要がある。コロニアにおけるニッポン語学校の総数は、正確なことはわからないが、だいたい700校ぐらいだろうと推計されるが、その大部分が非公認、すなわち、教育法令をひそかにくぐってやっている学校である。
 また、公認された学校にしても、先生の資格や教科書は合法的ではなく、いずれも、教育局の監督の目をごまかしてやっているひかげものである。それゆえ、コロニアの日語学校は、先生も生徒も法令をくぐり、またはごまかしてやっているというヒケメから、強い劣等感意識をいだいており、それが子どもの精神におよぼす悪影響は想像以上なものがある。
 そこで、問題は、コロニアのこのような現状をこのままに知らん顔をしてほっておくか、それともなんとか方法を講じて、合法的にやらせるようにするか、という二つである。
 しかし、児童教育に関心あるものなら、政府の目をのがれて、こっそりニッポン語を教えることが、人格形成期にある子どもの精神をどんなにゆがめていくか、よく分るだろう。だから、コロニアの日語教育は、現状のままでほっておいたらいいというのは、児童教育にぜんぜん無関心な人か、くさいものにはフタをしておこうという。政治的無能力者の意見にすぎない。
 したがって、児童教育に関心をもつものから見れば、コロニアにおける日語教育の現状を黙視することは、極限すれば、黙視することそのものがすでに児童教育に対する罪悪であるとさえいわれるのである。この非合法的な日語教育を一掃する方法としては、あくまでも、現行の外国語教育令にしたがって、これに違反するものを、官憲の力をかりてでもテッテイ的に弾圧するか、それとも日語教育が、かなり自由にできるように外国語教育令の制限をゆるめてもらうかの二つしかない。
 わたしの考えでは、われわれニッポン移民が、その文化を子ども(二世)につたえようとする気持は、民族的な文化本能ともいうべきもので「二世はブラジル人だから」というような、単純な考え方で、わりきれるものではない。外国語教育令が、サンパウロとサントス以外での外国語教育を十四才以下のものに禁じ、外国人がその先生になることを許さないとしたのは、移民の子どものブラジルへの同化を促すという理由からであるが、問題は、このような法令がはたして二世のブラジルへの同化を正しく促すことになっているかどうかである。
 前にいったように、民族の言語は、宗教と同じく文化本能といわれていいようなもので、これは法令などで、禁止されるべきものではなく、制限でも度をこえれば、決して好ましい結果はもたらされない。