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ガレリア・パジェー=アルメニア人の拠点=靴に始まって靴に終わる
ニッケイ新聞 2010年3月10日付け
オスマン・トルコの迫害から逃れてきたアルメニア人のケリアキアン氏一家が、靴の製造販売で立ち上げた汗の結晶がガレリア・パジェーであるが、いまはブランド品の模造スニーカーのメッカとなっていると9日付けジアリオ・ド・コメルシオ紙が報じた。
記念誌「25・デ・マルソ」によれば、第1次大戦直後の1923年、2万人のアルメニア人が着の身着のままで本国から逃れてきて、アラブ人街と呼ばれた現在の25周辺に落ち着いた。
アルメニア人たちは、ケリアキアン氏の世話で靴つくりの内職に励んだ。同氏は、靴店を開業。多くのアルメニア人を仕事と生活で助けた。孫に当たるレイナウド氏は現在、サンパウロ市に200の不動産を所有する。
祖父ケリアキアン氏の遺産で息子のアヴェジス氏が現在のガレリア・パジェーの建築を開始。孫のレイナウド氏が1963年、完成。同ガレリアが一変したのは1990年、チョン氏が引き連れた露店商の出現で模造品のメッカに変容した。