ニッケイ新聞 2010年3月20日付け
17日付の複数サイトに、BBC配信の、アラグアイアでゲリラのものと見られる遺骨類を収集との記事が掲載された。
遺骨発見地は、2009年7月に再開された捜索対象地の一つで、パラー州マラバーから90キロのタボカン。発見したのは、政府派遣調査団ではなく、ラウルというコードネームの故アントニオ・テオドーロ・デ・カストロ氏の遺族達だ。
当時を知るガイドが可能性ありとした複数の場所で13日から発掘を開始し、頭蓋骨や歯などの遺物を発見したもの。09年10月に政府調査団の発掘場所から30メートルの所という。
遺骨類を発見した遺族は、連邦検察庁や連邦警察、法医学研究所などにも連絡。16日には専門家が現地派遣され、収集物を回収した。同地点に埋められた可能性があるゲリラは3人おり、マラバーの法医学研究所で分析後、ブラジリアで身元確認作業が行われる。
パラー州やトッカンチンス州にまたがるアラグアイア地方は、1964~85年の軍事政権下に連邦軍とゲリラとの戦いがあった。72~75年に連邦軍に殺害されたゲリラの遺体は秘密裏に処理されたため、82年には遺族が政府相手に提訴するなど、機密解明への動きが高まっていた。
これを受け、2003年に最高裁が再調査を行うよう言い渡したが、04年に行われた捜索は、不発に終った。
その後、09年に当時を知るクリオー少佐ことセバスチオン・C・ロドリゲス氏が保管していた文書の内容公開などの後、7月から捜索再開。8月からは発掘調査も再開されていた。
7月から再開された捜索は、具体的に10カ所の地名を挙げて行われ、タボカンもその一つ。
ただ、04年の捜索時も、ガイドが指示した所以外の場所を掘り、何もなかったと報告した例もあり、事実を解明し、草葉の陰に眠る遺体を葬ってやりたいという遺族の願いを裏切る行為があるのも事実の様だ。
1日も早い事実解明と補償問題解決を願う人達にとり、サントスでの文書発見など、軍政下の機密解明につながる動きがいくつか続いた上、遺族による発掘で遺骨発見の意味は大きい。