ホーム | 連載 | 2009年 | 『日伯論談』=様々な問題を俎上に | 日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第42回=永田翼=実業のブラジル社代表=クールな大人の日伯関係を

日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第42回=永田翼=実業のブラジル社代表=クールな大人の日伯関係を

2010年3月20日付け

 2月末、ジョゼ・ミンドリン氏が95才で亡くなり、マスコミはこの文化人企業家の死を悼んだ。1万7千タイトル、4万冊に及ぶブラジル文学の草稿、稀覯本、手作り本を蒐集した蔵書は寄贈されサンパウロ大学がミンドリン文庫を建設中だった。
 ミンドリン氏は、自動車部品メーカーの優良企業メタル・レーベ社を率いてサンパウロ工業連盟の国際化を進め、日本とも日伯民間経済合同委員会のブラジル側幹事長として窓口を務められた。
 この合同委員会は、1960年後半から1970年前半のいわゆる「ブラジルの奇跡」を背景に民間の経済人を糾合して行こうというもので、発想はブラキチになった帝人の大屋晋三社長だという。
 大屋社長は未来事業部を作り50ものプロジェクトを世界で進めようとされたが、ブラジルは正に彼の夢の舞台だったようだ。本業の繊維のほか、サンパウロでの国際ホテル計画、マットグロッソでの牧場と実に多彩な展開をなさった。メタアル・レーベもグローバル化の流れで1996年に身売りとなり、残念ながらどちらも過去の話になってしまった。
 ともあれ、そのころブラジルの実業家たちはヨーロッパ志向が強く、経済力がある米国と付き合うものの彼らが尊重するのはヨーロッパで、日本は数のうちにも入っていなかった。
 ポルトガル貴族の末裔たるクワトロセントン(400年の歴史を持つ旧家)の家では、まだフランス語をしゃべるところがあったほどだ。そうしたブラジルの目を日本に向けさせるのにブラキチの熱意が必要だったのだろう。
 そして「ブラジルの資源」「日本の資本・技術」という日伯補完関係が強調され、理想の夫婦関係と例えられた。その幸せな時代に第一回合同委員会、田中角栄首相、ガイゼル大統領の相互訪問を経て、アルミ精錬、紙パルプ、ツバロン製鉄所、セラード開発といった大型プロジェクトが実現していった。
 しかしながら、事務方としてミンドリンさんたちと接触しても、日本側の熱さに比べブラジル側はいたくクール。ブラキチの日本人ほどブラジル人の日本気違いは多くない。この差はどこから来たのだろう。
 日本人は熱しやすく冷めやすい。恋愛に例えれば、惚れて一筋。中国市場が出現すると国を挙げて中国を目指す。自分がひたむきであれば、想いは通じると先見的に信じているかのようだ。ところが相手はそう純情ではない。ブラジルで言えば、持てるオンナと同じで言い寄るオトコに不足はない。日本が好きなブラジル人がアメリカ人も好きだったり、フランス人が好きでもなんら不思議はない。過熱した思い込みをしていないと言っても良いだろう。
 ブラキチになった日本人はブラジル人にも日本好きになって貰いたがる。しかし「ブラジルの資源」の嫁入り先はいくらでもある。「資本と技術」があるのも日本だけではない。バランス感覚に富むブラジルは世界中にアミーゴを作る才能がある。だから、より良い条件からいくらでも選べるのだ。
 米国が日本を抜きにして中国と直接交渉するようになり、ブラジルも中国と新興国仲間になった。日本が疎外感を持ち、振られたと思い込むのは間違いで、国と国の関係にはクールな計算が必要だ。
 多民族が集まった移民社会のブラジルでは、日常的に異文化の衝突があり、交渉があって解決される。こうした経験が国際的なブラジル人を育てる。
 日本では外国語というと英語だけを考えがちだ。しかし外国語の学習は、最初の言語は難しくても増えるごとに楽になる。ブラジルで多言語を話す人は多い。日系人でも親の話す日本語、生活のポルトガル語、兄弟語のスペイン語、学校で勉強する英語ができる人は珍しくない。これだけで4ヶ国語だ。少し勉強すればフランス語、イタリア語も楽勝だろう。言語の習得は文化の習得だ。
 相手国の言語・文化を知らないで商売ができるだろうか。サムスンは海外出張、駐在に際し、言語・文化の習得を義務付けているという。死ぬ気での勉強らしい。合格しないと赴任できず、昇進の可能性がなくなる。ブラジル人は死ぬ気にならないでも、自然に習得できる機会が多い。移民社会は実は恵まれた環境なのだ。
 ブラジルは経済危機から既に脱したと言われる。国内市場の急成長もあるが多様な人種を背景にした貿易構造が貢献していることに間違いはない。昨年の地域別貿易シェアをみてもそれは明らかだ。(表参照)
 ちなみに日本はアジア、米国向け輸出が70%を占める。一方、ブラジルの対日貿易は輸出2・8%、輸入4・2%に過ぎない。
 「BRICsのBがそぐわないのでブラジルをはずし、RICsにした方が良い」と言われていたのに、いつのまにかブラジルが本物の21世紀の大国になってきたようだ。しかしながらあまりいい気になってはならないだろう。
 努力しているブラジル人に敬意は表するものの、多分に時代に恵まれた感が強い。驕れるもの久しからず。ついこの前まで日本人も日本が借金大国だと気づかず、経済大国だと思っていたのだから。
 そして日本も大人の関係でブラジルとの関係を強めていかなければならないのだろう。熱くはなくともこれだけ日本に対して暖かい国はそうはないのだから。

永田翼(ながた たすく)

 東京都出身。東京都立大学社会学科修士課程中退。1973年着伯、日伯毎日新聞社会部記者を経て1974年から84年までブラジル日本商工会議所勤務。1984年帰国して川竹エレクトロニクスで中国、インド向け輸出を手がける。1996年アニマンガ社をサンパウロで設立し、日本のアニメまんがのブラジルでの普及を図る。2006年実業のブラジル社を継承し現在に至る。