ニッケイ新聞 2010年3月24日付け
ブラジルに来たりて、はや半世紀――。1960年2月に神戸・横浜を出港、3月13日にサントスに到着した「ぶらじる丸」のサントス到着半世紀を祝う同船者会が、ちょうど50年目となる今月13日にヴィラ・マリアーナ区の秋田県人会で開かれた。サンパウロはもとより、パラナ、ミナス州などから30人以上が出席、ブラジルに第2の人生を賭けた若き日を互いに懐かしんだ。40周年、42周年に続き、3回目。
「カルロポリスで百姓やってます」「孫が11人」「50年間、バタタ一筋」「ガンを克服しました」「今の楽しみは社交ダンス」「コチアの横浜組」「日本を行ったり来たり」「ロスまでは船酔いだった」―。
昼食を摂りながらの自己紹介では、船中の思い出や、半世紀の奮闘、現在の生活をそれぞれが披露。頷く顔と笑い声で会場は一杯となった。
約1千人を乗せた同船が出港したのは、移民のピークだった1960年。当時、最多の乗船者を記録したといわれ、コチア青年約70人、花嫁移民約20人を乗せた。
「節目にみんなと会いたい」とリベイロン・プレット在住の大河政義さん(64、長崎)が上妻博彦さん(77、鹿児島)に手紙を書き、同船者会開催を持ちかけた。
イビウーナ在住の白旗信さん(75、長野)とミナス州カンブイ在住の白浜清俊さん(71、熊本)が世話人となり、実施の運びとなった。
上妻さんの妻康子さん(77、長崎)は、2歳だった長女の道子さんを連れスザノに入植。その後、カッポン・ボニートに20年間住んだ。
「祖母がねえ…『ブラジルなんて鬼が島に行くようなもの。私が死んでから行ってくれ』って泣いてね…」と移住当時の辛い別れを思い出す。
「日本にいたらどうなってたかって? さあ分からんねえ」と笑みを見せた。
初瀬川洋子さん(78、東京)は建築士だった夫英雄さん(04年に死去)と船に乗った。
英雄さんは、文協ビルの小・大講堂の内装、イビラプエラ公園の先亡者慰霊碑やコチア市の日本庭園の建造に関わった。
「言葉は分からないし、人の使い方、資金面で苦労しました。大きな仕事をしたけど、名前が残ってないのが残念」と残念そうに話しつつも、「子供は2人、孫は1人おります」と幸せそうな表情を見せた。
「移民収容所の57号室にいましたよ」と神戸出港日の記念写真=写真=を持参したのは、リメイラ在住の池田初郎さん(69、福岡)。
5つ年上の兄でコチア青年としてすでに来伯していた治俊さん(故人)の呼び寄せだった。「エンブーグアスーのイタラレ村。日本人が30家族いました」
29歳で結婚、20年間、コチアで花作りに携わる。「船よりも、途中下船したことを覚えている。言葉も分からんのにカラカスやサルバドールでクシーに乗って、レストランで食事して。楽しかったね」
世話人の白旗さんは、「50年は長いようで短い。でも話のタネは尽きないよね」と満足顔。
記念撮影の後も、参加者らは、それぞれの連絡先を聞き合ったり、当時の思い出話に花を咲かせていた。