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第33回県連ふるさと巡り=リオ、ミナス街道をゆく=《2》=南ミナス農協を視察=立派な柿、アテモイアにため息

ニッケイ新聞 2010年3月25日付け

 初日、アチバイア文協での交流を楽しんだ一行は、同夜のうちにミナス・ジェライス州ポウゾ・アレグレまで移動。2日目朝は、同地から50キロ離れたツルボランジアへ向けバスで出発した。
 訪問先の南ミナス農業協同組合(CASM)は、1998年に結成され、現在15農家が加入。柿を中心にアテモイア、デコポン、ゴイアバ、アメイシャなどの果樹栽培を行い、サンパウロ、リオ、ベロ・オリゾンテへ出荷している。
 1978年、コチア産業組合の入植政策により980ヘクタールの土地が20に区分けされ、一農家に40~50ヘクタールが与えられた。
 一行は、晴天の下、同地で30年果樹栽培を営む同農協の佐藤ルイスさん(54、二世)の農園を見学。5月の収穫時期を前に赤く熟れ始めた渋柿に、感嘆の声が漏れる。
 「杖をついてでも、皆と一緒に行きたい」と3度目の参加の大原千代子さん(大坂、82)は、「きれいだね、見たらほしくなってしまうねぇ」と手間隙かけて作られた果物に目を細めた。
 次に訪れた永野富志枝さん(63、徳島)の農園では、約2千本のアテモイアの木に形の整った実がぎっしりとなっていた。
 「1キロ以上の重さの実もある」と紹介する永野さんは、「アテモイアの木を初めて見た人も多いようだね」と一行の訪れを喜ぶ。
 南米産業開発青年隊で一期生として来伯した矢口篤男さん(73、山形)もサンパウロ州インダイアツーバで大規模なトマト栽培を行った後、コチア組合の同政策を機に同地へ転住。
 「来伯当時はジャングルを切り開き、次はトマト作り、苦労の末やっと果樹栽培に落ち着いた」と、ツアー参加者で青年隊八期生の小山徳さん(70、長野)さんや神代時代二期生の安斉喜高さん(73、福島)らに自身の経緯を語っていた。
 その後、CASMの会館へ移動し、昼食会へ。同農協から約30人の会員らが一行を出迎えた。婦人部の料理や取り立ての果実が所狭しと並べられ、一行は舌鼓を打った。
 高島淳副組合長(32、二世)と支配人の山下マリオさん(59、二世)は、「雨も多くなく、今年も順調」と様子を話す。
 そんな同地だが、始めから果樹栽培が盛んだったわけではなかった。もともと、トマトやジャガイモ作りが主流だった同地に、第二回東山農場研修生でコチア産業組合果樹専門技師の久我健二さんが85年に果物を持ち込んだのが始まりだったそうだ。
 「同地では柿栽培だけで200ヘクタールを占め、年間の柿の出荷は47万箱にのぼる」と現状を説明する2人は、「ブラジルで最初に柿栽培が始まったのは同地かも」とその繁栄を誇った。
 新鮮な柿やアテモイアを購入し、バスに詰め込んだ一行は、満足な様子で同地を後にした。(長村裕佳子記者、つづく)

写真=佐藤さんの農園で立派な渋柿を前に記念撮影